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德川家達 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正二位、勳一等
爵位・身分・家柄公爵、麝香間祗候、舊將軍家
職業貴族院議長、華族會館長
性別男性
生年月日文久三年七月十一日 (1863)
親名・続柄 德川慶賴の三男
家族妻 泰子 慶應三、九生、公爵近衞文麿叔母勳四等
男 家正 明一七、三生、從四位勳六等外務省參事官兼外務大臣祕書官
婦 正子 明一八、九生、長男家正妻、公爵島津忠重姉
女 綏子 明三〇、一〇生、學習院女學部在學
女 綾子 明三〇、四生、學習院女學部在學
記述部分(略伝)當家は清和天皇の末孫鎭守府將軍源經基の裔贈太政大臣德川家康の後なり家康天下を一統し爾來三百年の大業を開けり十五代德川慶喜に至り大政を奉還して明治の維新となるや
君は田安家より入りて其後を襲く實は贈正二位德川慶賴の第三子にして文久三年七月十一日を以て生れ幼名を龜之助と稱し宗家を繼承するに及ひて名を家達と改む侯爵德川賴倫伯爵德川達孝は其の實弟なり明治元年駿遠參の地七十萬石を賜はり後藩籍を奉還して靜岡藩知事となり更に華族に列せらる同十年英國に遊び在留五年歸朝して直に麝香間祗候となり同十七年七月公爵を授けられ同二十三年貴族院議員となり後ち同議長に推されて現時に至る同四十三年歐米を視察す
家族は前記の外三女繁子(明三七、一生)孫家英(同四五、一生、長男家正長男)あり
先代慶喜(天保八、九生)は其子女を伴ひ分家し當代は公爵德川慶久なり養妹經子(明一五、九生)は伏見宮博恭王殿下の妃とならせられ同浪子(同一三、九生)は男爵松平齋光先代齋に同鐵子(同八、一〇生)は伯爵德川達道に同國子(同一五、一生)は子爵大河内輝耕に妹鎭子(慶應二、五生)は伯爵酒井忠篤に嫁し弟仲博(明一〇、八生)は侯爵池田家を繼き養弟厚(同七、二生)は分家せり
住所・電話番号東京、豐多摩、千駄ケ谷町字千駄ケ谷五六二 電話芝一〇〇二、五一〇〇
参照人物(親類)伏見宮家、公爵德川慶久、公爵近衞文麿、公爵島津忠重、侯爵德川賴倫、侯爵池田仲博、伯爵德川達孝、伯爵德川達道、伯爵酒井忠篤、子爵大河内輝耕、男爵德川厚、男爵松平齋光、※山階宮家、※久邇宮家、※侯爵黑田長成、※伯爵松平直亮、※伯爵久松定謨、※伯爵津輕承昭、※男爵島津忠備、※男爵島津忠弘、※男爵常磐井堯熈、※男爵水谷川忠起
参照次数22 (※なし12)
読みとくがわ いえさと
別名龜之助
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