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酒井忠篤 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從二位
爵位・身分・家柄伯爵、舊羽前鶴岡藩主
職業
性別男性
生年月日嘉永六年二月十三日 (1853)
親名・続柄 酒井忠發の五男
家族男 忠良 明二一、九生、從五位
婦 萬千子 明二三、六生、二男忠良妻、子爵大給近孝妹
男 忠孝 明二三、一生
男 忠悌 明二六、六生
女 歌子 明三二、八生
嫂 瑛昌院 天保一二、三生、亡兄忠恕妻、侯爵山内豊景四代前豊凞二女
養叔父 忠寳 安政三、六生、從三位
養叔母 鍈子 元治元、正生、養叔父忠寳妻、子爵東胤祿姉
叔父 忠利 安政四、五生、子爵米津政賢叔父、從四位勳三等功四級後備海軍少將
養叔母 展 明元、三生、養叔父忠利妻、東京、平、石川喜助四女
從弟 忠次郞 明二二、五生、養叔父忠利長男
從弟 清 明二八、三生、養叔父忠利三男
從弟 忠三郞 明二五、一〇生、養叔父忠利二男
從妹 利子 明三一、三生、養叔父忠利三女
從弟 忠和 明二五、八生、養叔父忠寳二男
從弟 忠純 明一九、八生、三女高子夫、養叔父忠寳長男
女 高子 明二〇、一生、養從弟忠純妻
記述部分(略伝)當家は源經基の末德川四郞義季より出つ其末酒井忠次德川氏に仕へて功あり其孫忠勝羽州鶴岡に居城し夫より十代忠寳を經て君に至る
君は三代前忠發の第五男にして先代忠寳の實兄なり嘉永六年二月十三日を以て出羽庄内に生る幼名を繁之助と云ふ明治十三年二月家督を再相續す同十七年七月伯爵を授けられ同三十一年正三位に後從二位に陞叙せらる
家族は前記の外從妹德子(明三四、一一生、養叔父忠利四女)同千代子(同三九、八生、同五女)從姪喜久子(同四三、一一生、養從弟忠純長女)同正子(大元、一二生、同二女)あり
二女米子(明一八、一二生)は子爵大給近孝に養叔母璦子(同九、七生、子爵内藤信任先代信美長女)は子爵内藤信任に養從妹鑑子(同一五、七生、養叔父忠寳長女)は子爵稻葉順通に同銑子(同一七、五生、同二女)は東京府平民安田善之助に同鉐子(同二〇、八生、同三女)は新潟縣平民久須美秀三郞長男東馬に養從妹淑子(同二三、一生、養叔父忠寳四女)は新潟縣平民西脇濟三郞弟健治に同惠子(同二四、三生、養叔父忠利二女)は子爵板倉勝高亡父勝貞に嫁し姉鋹子(弘化元、八生)は子爵本多康虎の母たり
住所・電話番号山形、西田川、鶴岡町家中新町
参照人物(親類)侯爵山内豊景、子爵米津政賢、子爵東胤祿、子爵内藤信任、子爵本多康虎、子爵稻葉順通、子爵大給近孝、子爵板倉勝豪安田善之助久須美秀三郞西脇濟三郞、※子爵松平直平
参照次数15 (※なし12)
読みさかい ただあつ
別名繁之助
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