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常磐井堯熙 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正三位
爵位・身分・家柄男爵、舊興正寺住職
職業
性別男性
生年月日弘化元年十二月二十七日 (1845)
親名・続柄 有栖川宮熾仁親王の二男
家族養嗣子 堯猷 明五、三生、公爵近衞文麿叔父正五位、眞宗高田派管長
婦 鎧子 明一五、五生、養嗣子堯猷妻、伯爵藤堂高紹姉、學習院女學部出身
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足の支孫内麿の後親鸞の弟子眞佛の系なり眞佛興正寺の住職たり夫より七世を經て中興の祖眞慧に至る其後九世圓禧は君の先代なり
君實は故有栖川宮熾仁親王の第二子にして其後を亨く弘化元年十二月二十七日を以て生る明治元年法眼に叙し大僧都に任せられ同五年華族に列し同十七年高田派管長となり同二十九年特旨を以て男爵を授けらる明治四十年七月正三位に叙せらる
養嗣子堯猷は弱冠にして獨逸に遊學しストラスブルヒ大學に入り明治三十一年ドクトルフヰロソフイの學位を得更に佛國に至りて研究する所あり同三十二年七月歸朝す梵語パリー語印度及び支那佛教史等に精通し現時梵漢大辭典編纂に努力しつ〻あり大正二年二月養父の後を受けて眞宗高田派管長となれり
家族は前記の外孫教子(明三七、六生、養嗣子堯猷長女)同隆麿(同三八、一一生、同二男)同敏子(同四〇、八生、同二女)あり
養女てる(同二、一〇生、三重、平、長谷部圓祁長女)は愛知縣平民村瀨萬次郞兄光國に嫁せり
住所・電話番号三重、河藝、一身田村
参照人物(親類)公爵近衞文麿、伯爵藤堂高紹、※公爵德川家達、※伯爵津輕承昭、※子爵高倉永則、※男爵水谷川忠起
参照次数7 (※なし2)
読みときわい ぎょうき
別名
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