黑田長成 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、麝香間祗候、舊福岡藩主 | |
職業 | 貴族院副議長、宗秩寮審議官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年五月五日 (1867) | |
親名・続柄 | 黑田長知の長男 | |
家族 | 妻 きよ 明四、三生、公爵島津忠重姉 男 長禮 明二二、一一生、從五位、東京帝國大學理科大學生 婦 茂子 明三〇、五生、長男長禮妻、閑院宮載仁親王第二女、勳二等 | |
記述部分(略伝) | 當家は左大臣源雅信の後裔佐々木秀義の曾孫京極近江守の後氏信の男佐渡守滿信の二男左衛門宗清の後なり宗清近江國黑田に住せしを以て爾來黑田を姓とす夫より數代を經て官兵衛孝高に至る孝高材武あり秀吉に仕へ其子長政亦武勇あり後德川氏に從ひ福岡の城主となり五十二萬石を領す夫より十一代を經て長知に至る長知七卿落の際五卿を擁護し維新の大業を開くに當て偉功あり朝廷其功を賞し一萬石を賜ふ 君は其長子にして慶應三年五月五日を以て生れ幼名を桃次郞又幸千代と稱す明治十一年家督を相續し同十七年侯爵を授けらる同年英國に留學し同二十一年歸朝し二十二年式部官に任し二十五年貴族院議員に列し同二十八年貴族院副議長となる明治三十七八年戰役の功に依り勳二等旭日重光章を賜ふ 家族は前記の外女幸(明四一、一生)女良(同四二、三生)あり 弟長和(同一四、一生)は分家して男爵を授けられ同靜男(同一八、七生)は故子爵黑田長德の養嗣子となり長敬と改名す妹禎子(同一五、一一生)は侯爵鍋島直大長男直映に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、福吉町一 電話新橋一三一九 | |
参照人物(親類) | 閑院宮家、公爵島津忠重、侯爵鍋島直大、子爵黑田長敬、男爵黑田長和、※久邇宮家、※山階宮家、※公爵德川家達、※伯爵松平直亮、※伯爵德川達孝、※伯爵久松定謨、※男爵島津忠備、※男爵島津忠弘 | |
参照次数 | 13 (※なし5) | |
読み | くろだ ながしげ | |
別名 | 桃次郞、幸千代 |