德川達孝 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊田安家 | |
職業 | 侍從職幹事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年五月二十五日 (1865) | |
親名・続柄 | 德川慶賴の四男 | |
家族 | 妻 知子 明八、八生、公爵島津忠重姉 男 達成 明三二、五生 | |
記述部分(略伝) | 當家は源經基の裔德川家康八世の孫吉宗の二男宗武の後なり宗武幼名を小次郞と云ひ田安館に居りしを以て田安殿と稱す宗武より三代を經て贈正二位慶賴に至る 君は其第四子にして侯爵德川賴倫の實兄なり慶應元年五月二十五日を以て江戸に生る幼名を群之助といふ明治元年家兄德川家達宗家たる德川慶喜の後嗣となりしを以て君其後を享け同二年家督を相續し同十七年伯爵を授けらる同二十二年歐米を漫遊し同二十三年歸朝貴族院議員に當選し其他華族會館理事日本弘道會々長芝區教育會々長の公職にありしも大正三年侍從職幹事に任し貴族院議員を罷む日露事件の功に依り勳四等に叙せらる 家族は尚五女惠子(明四二、二生)あり 長女須美子(同二一、七生)は伯爵溝口直正長男直亮に次女穀子(同二三、一生)は子爵土屋正直に三女艷子(同二四、三生)は伯爵立花寬治長男鑑德に四女繡子(同二五、七生)は子爵德川武定に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、三田綱町一 電話芝一五八二 | |
参照人物(親類) | 公爵德川家達、公爵島津忠重、侯爵德川賴倫、伯爵立花寬治、伯爵溝口直正、子爵土屋正直、子爵德川武定、※山階宮家、※久邇宮家、※侯爵黑田長成、※伯爵松平直亮、※伯爵久松定謨、※男爵島津忠備、※男爵島津忠弘 | |
参照次数 | 15 (※なし7) | |
読み | とくがわ さとたか | |
別名 | 群之助 |