島津忠重 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 從四位、勳四等 | |
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Title/ Family rank etc. | 公爵、舊鹿兒島藩 | |
Occupation | 海軍大尉,貴族院議員 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 明治十九年十月二十日 (1886) | |
Parent and relation | 島津茂久の四男 | |
Family | 妻 伊楚子 明二一、一生、公爵德大寺實則女 男 忠秀 明四五、三生 妹 爲子 明三〇、五生 弟 久範 明二七、一生 弟 康久 明二八、一生 | |
Biography | 當家は島津豐後守忠久の裔十五代の孫義久の後なり義久武勇にして秀吉の天下を平定するや大隅薩摩日向の三國を領す弟義弘家久共に武勇あり家久の後十世を經て齊彬に至る齊彬幼にして藩政を司とり尊王の志深く其治績大に見るへきものありしに不幸にして夭死す其弟久光の子忠義家を襲く後名を茂久と改む元治元年英艦鹿兒島に來襲するや之と戰ふて神洲の威名を擧く爾來皇師に從て功あり明治十七年偉勳により特に公爵を授けらる 君は其四男にして公爵島津忠濟の甥なり明治十九年十月二十日を以て生れ後家督を相續し襲爵仰付らる 家族は前記の外長女經子(大二、八生)あり 姉常子(明七、三生)は故菊麿王殿下の妃に同俔子(同一二、一〇生)は邦彦王殿下の妃とならせられ同きよ(同四、三生)は侯爵黑田長成に同充子(同六、二生)は伯爵松平直亮に同知子(同八、八生)は伯爵德川達孝に同貞子(同一一、二生)は伯爵久松定謨に同正子(同一八、九生)は公爵德川家達長男家正に嫁し弟忠備(同二四、五生)同忠弘(同二五、一〇生)は各分家して男爵を授けらる | |
Address phone | 東京、荏原、大崎町下大崎二三四 電話長芝三七九・三七八 | |
Relative | 山階宮家,久邇宮家,公爵島津忠濟,公爵德川家達,公爵德大寺實則,侯爵黑田長成,伯爵松平直亮,伯爵德川達孝,伯爵久松定謨,男爵島津忠弘,男爵島津忠備,※公爵鷹司熈通,※侯爵佐竹義生,※子爵松平賴孝,※男爵高千穗宣麿,※男爵德大寺則麿,※三井高保 | |
Degree | 17 (except※11) | |
Pronounciation | しまず ただしげ | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- First Edition [April 1903]
- 4th Edition [January 1915]
- 8th Edition [July 1928]