島津忠重 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 公爵、舊薩州藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十九年十月二十日 (1886) | |
親名・続柄 | 島津忠義の四男 | |
家族 | 姉 常子 明治七年三月生 同 正子 明治十八年九月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は島津豐後守忠久▲裔十五代の孫義久の後なり義久武勇なり九州を倂呑せんとせしが秀吉の天下を平定するや大隅薩摩日向の三國を領す弟義弘家久共に亦武勇あり家久の後十世を經て齊彬に至る齊彬幼にして藩政を司どり尊王の志深く其成績大に見べきものありしも不幸にして夭死す其弟久光の子忠義家を襲ぐ後名を茂久と改む元治元年英國軍艦鹿兒島に來襲するや之と戰ふて神州の威名を擧ぐ爾來皇軍に從て勳功あり明治十七年偉勳に依て特に公爵を授けらる 君は其の四男にして明治十九年十月二十日を以て生る目下學習院に在りて勉學中なりといふ 家族には尚弟韶之進(明治二十七年一月生)同陽之助(同二十八年一月生)妹爲子(同年五月生)あり 姉俔子(同十二年十月生)は邦彦王殿下に姉貞子(同十一年二月生)は伯爵久松定謨に妹充子(同六年二月生)は侯爵松平直亮に姉知子(同八年八月生)は伯爵德川達孝に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京府荏原郡大崎村大字下大崎二三四 電話新橋三七九同八七▲ | |
参照人物(親類) | 久邇宮家、伯爵松平直亮、伯爵久松定謨、男爵島津諄之助、男爵島津富次郡、伯爵德川達孝 | |
参照次数 | 8 | |
読み | しまず ただしげ | |
別名 |