中御門經恭 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊公卿家 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十一年十月六日 (1888) | |
親名・続柄 | 中御門經隆の二男 | |
家族 | 妻 慶子 明二七、三生▲男爵三井八郞右衛門長女、學習院女學部專修科卒業 叔母 直子 嘉永五、九生、伯爵坊城俊良叔母 | |
記述部分(略伝) | 當家は内大臣藤原鎌足七世良門の裔資經の二男正二位經俊の後なり其邸中御門にありしを以て家號となす夫より八世從一位宣胤に至る更に十一世を經て經之に至る經之夙に皇室の式微を憂ひ之か復古を企てんとし國家に瘁す所尠なからす明治元年勳功により永世祿を下賜せられ同二十四年薨す其子經明後を繼き職を司法に奉する事十餘年同十七年伯爵を授けられ同二十一年父經之の勳功により特に侯爵を授けらる嗣子なきを以て其女萬千子其後を嗣く 君は男爵中御門經隆の第二子にして明治二十一年十月六日を以て生れ同三十二年十月先代萬千子の家督相續人となり襲爵仰付らる大正三年京都帝國大學理工科大學製造化學科出身の理學士たり 從妹萬千子(明二二、一一生)は宮崎縣人伊東敬三郞長男祐平に叔母美雄子(安政四、三生)は子爵新莊直知先代直陳に同八千子(同六、一〇生)は男爵安藤直雄先代直行に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、麻布、三河臺町三八 電話芝四四二一 | |
参照人物(親類) | 伯爵坊城俊良、子爵新莊直知、男爵中御門經隆、男爵安藤直雄、男爵三井八郞右衛門、※伯爵大谷光瑩、※子爵内田正明、※子爵本田親濟 | |
参照次数 | 8 (※なし5) | |
読み | なかみかど つねやす | |
別名 |