Japanese

大谷光瑩 (4th Edition [January 1915] )

Rank/ Honors/ Grade正二位
Title/ Family rank etc.伯爵、僧家
Occupation
Gender男性
Birthday嘉永五年七月二十七日 (1852)
Parent and relation 大谷光勝の四男
Family妻 恒子 安政元、一二生、伯爵、大谷光瑞養姉
男 光演 明八、二生、從四位、眞宗大谷派管長
男 瑩誠 明一一、一一生
婦 朝子 明二二、一一生、三男瑩誠妻、侯爵廣幡忠隆妹
男 瑩亮 明一三、一一生
婦 訴 明二二、一生、五男瑩亮妻、東京、士、池田賴清妹
男 瑩韶 明一九、五生
男 瑩潤 明二三、一生
婦 喬子 明二八、一一生、十一男瑩潤妻、子爵小笠原恒妹
庶子男 瑩琇 明二〇、一一生、生母、妾春榮
婦 貞子 明二三、一二生、庶子瑩琇妻養弟勝道長女
庶子男 瑩嶐 明二六、八生、生母、京都、平、岩崎ヨシカ
庶子女 久子 明二三、一生、生母、妾春榮
弟 勝緣 安政三、七生
弟妻 僖子 安政四、六生、弟勝緣妻、子爵井伊直安妹
弟 謹爾 明八、一生
弟 勝信 明一一、九生
弟妻 瓏子 明一五、三生、弟勝信妻、男爵中御門經隆長女
亡弟妻 參子 明七、四生、亡弟勝尊妻、子爵三浦基次叔母
甥 勝眞 明一八、三生、亡弟勝尊長男
婦 夏子 明二六、六生、甥勝眞妻、子爵、稻垣太祥長女
甥 高 明三一、一一生、亡弟勝尊三男
姪 壽子 明三三、一二生、亡弟勝尊長女
Biography當家は親鸞上人の後裔にして七世存如を經て中興の祖蓮如の後四世顯如に至る顯如三子あり長子光壽故ありて父の後を襲かす東依西托諸國を巡錫し後還て本願寺の北殿に住し慶長四年衣棚立賣の南に轉す時に徒弟の光壽に歸するもの益多し同七年幕府議して本願寺を東西二派となし光壽を東本願寺の領祖とす信淨院教如上人是なり後八世を經て光勝に至る
君は其四男たり嘉永五年七月二十七日を以て京都に生る萬延元年法嗣となり文久三年大僧正となり明治五年華族に列せらる同年歐洲を巡錫し翌年歸朝す同二十九年伯爵を授けらる先是同二十二年大谷派管長東本願守住職となりしも輓近之を罷む
家族は前記の外庶子男瑩住(明三五、一〇生、生母妾春榮)孫博子(大二、八生、四男瑩亮三女)甥長(同四四、一〇生、亡弟勝尊四男)姪尊子(大二、一二生、同二女)同信子(明三八、七生、弟勝信長女)甥瑩義(同四〇、四生、同長男)同瑩伸(同四三、三生、同三男)あり
二女惠子(同九、一二生)は公爵九條道實に六女嶺子(同一七、一〇生)は大阪府平民梅上尊融に七女綾子(同二〇、九生)は伯爵正親町實正長男公和に庶子女芳子(同二四、六生、生母、京都、平、西堀初榮)は石川縣人飯具瑩辰に姪〓子(同一七、一二生、弟勝緣二女)は福井縣平民二條秀源長男秀曉に嫁し孫良恭(同三二、四生、亡庶子瑩溫庶子男生母京都府人增澤タミ)は石川縣平民出雲路現祐の養子となり甥瑩美(同四一、五生、弟勝信二男)は福井縣人吉藤勝遵の養子となり養妹枝子(安政五、九生)は伯爵大谷光瑞の母にして妹梭子(文久元、正生)は子爵岩倉具明の母たり
Address phone東京、麴町、霞ケ關二 電話新橋一四九七
Relative公爵九條道實,侯爵廣幡忠隆,伯爵大谷光瑞,伯爵正親町實正,子爵井伊直安,子爵岩倉具明,子爵三浦基次,子爵稻垣太祥,子爵小笠原恒,男爵中御門經隆,大谷光演,※侯爵中御門經恭,※子爵内田正吉
Degree17 (except※12)
Pronounciationおおたに こうえい
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