坊城俊良 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊公卿家 | |
職業 | 主獵官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二十六年八月十五日 (1893) | |
親名・続柄 | 坊城俊章の子 ** | |
家族 | 母 秀子 慶應二、一一生、東京、平、山本やの二女 妹 壽重子 明三三、一一生 大叔母 桂洲 天保一一、九生 | |
記述部分(略伝) | 當家は内大臣藤原鎌足の後裔正二位權中納言俊實の後なり其子俊冬に至り坊城と稱す數世後俊名に至り後絶ゆ後贈内大臣晴豐の三男俊昌其後を嗣き數世を經て俊逸に至る俊逸王政復古に畫策する處ありしも事中途にして敗れ後落飾して常徹と號す明治二十四年十二月正二位を追贈せらる夫れより五代を經て俊德に至る 君は其弟にして明治二十六年八月十五日を以て生る同四十四年一月家督を相續し襲爵仰付らる侍從職出仕を經て大正三年九月主獵官に任せらる 家族は前記の外弟俊智(明三一、八生)妹理子(同三五、四生)同春子(同三八、二生)あり 姉竹子(同二三、一〇生)は岡山縣平民豐福泰造弟醫學博士豐福環に叔母伊萬子(同八、一二生)は男爵本田親濟に大叔母梓子(弘化三、八生)は子爵長谷信成先代信篤に同田鶴子(安政六、三生)は子爵八條隆正先々代隆吉に叔母直子(嘉永五、九生)は侯爵中御門經恭亡伯父經門に嫁し弟俊賢(明三〇、二生)は故男爵坊城俊延の後を襲けり | |
住所・電話番号 | 東京、神田駿河臺鈴木町一六 電話本局三一〇七 | |
参照人物(親類) | 侯爵中御門經恭、子爵長谷信成、子爵八條隆正、男爵坊城俊賢、男爵本田親濟、豐福泰造 | |
参照次数 | 6 (※なし6) | |
読み | ぼうじょう としなが | |
別名 |