伊達宗陳 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊宇和島藩主 | |
職業 | 主獵官、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 萬延元年十二月十六日 (1861) | |
親名・続柄 | 伊達宗德の長男 | |
家族 | 妻 孝子 明七、一一生、侯爵德川賴倫養妹 養子 彰 明三八、三生、東京、平、陸軍步兵中佐伊達紀隆三男 叔母 國子 明二四、四生 | |
記述部分(略伝) | 當家は中納言伊達正宗の長子遠江守秀宗より出づ秀宗大阪役に父正宗と共に軍に從ひ功あり將軍秀忠其忠勤を賞し伊豫國宇和島十萬石を與ふ故を以て分家し後數世を經て宗城に至る宗城維新の際國事に斡旋して勳功あり從一位勳一等に叙せらる父宗德其後を嗣き明治十七年伯爵を授けらる同二十四年祖父宗城の勳功に依り侯爵に陞爵せらる 君は其長男にして萬延元年十二月十六日を以て生れ明治三十八年十一月家督を相續し襲爵仰付らる尋て主獵官に任し貴族院議員に列す 家族は前記の外弟十郞(明三一、一二生)あり 養叔父宗敦(嘉永五、五生)は伯爵伊達宗基先代慶邦の養子となり後分家して男爵を授けられ其男宗經當主たり同信廣(慶應元、五生)は故子爵瀧脇信成の養子となり子爵家を襲き其男信錀當主たり同忠良(明三、一二生)は故牧野忠泰の後を襲き子爵を授けられ同宗曜(同一三、五生)は分家養叔父宗倫の後を相續し弟長德(同六、八生)は故子爵丹羽長國の養子となり子爵家を襲き同芳德(同一九、一〇生)は伯爵二荒家を相續し同康虎(元治元、六生)は子爵本多康穰に同剛吉郞(明三、一〇生)は愛媛縣士族土居通夫に同俊次(同六、八生)は子爵一柳紹念に各養子となり養伯母初子(安政元、三生)は伯爵柳原義光先代前光に叔母照子(萬延元、二生)は男爵三井八郞次郞に嫁し養叔母泰子(明一一、一生)は東京府平民佐和正の養子となり後同府士族坂田春雄養子九郞に嫁し弟武四郞(同元、八生)は其妻冏子(同一二、一生、伯爵松浦厚妹)を伴ひて分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、荏原、品川町北品川一九四 電話芝九二五 | |
参照人物(親類) | 侯爵德川賴倫、伯爵伊達宗基、伯爵柳原義光、伯爵二荒芳德、子爵瀧脇信錀、子爵丹羽長德、子爵牧野忠良、子爵本多康虎、子爵一柳紹念、男爵伊達宗經、男爵伊達宗曜、男爵三井八郞次郞、佐和正、坂田春雄、土居通夫、※伯爵松平賴壽、※子爵松浦靖、※子爵松平賴和、※子爵松井康義、※子爵稻葉正繩、※子爵本多正憲、※男爵佐竹義準 | |
参照次数 | 24 (※なし16) | |
読み | だて むねのぶ | |
別名 |