本多正憲 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 正三位 | |
---|---|---|
Title/ Family rank etc. | 子爵、舊安房國長尾藩主 | |
Occupation | ||
Gender | 男性 | |
Birthday | 嘉永二年六月十一日 (1849) | |
Parent and relation | 本多正貞の長男 | |
Family | 養子 正復 明六、一二生、長女純子夫、伯爵松浦厚弟、正五位、東宮侍從 女 純子 明六、一一生、養子正復妻 女 朝子 明二一、九生 孫 房子 明二八、七生、養子正復長女 | |
Biography | 當家は藤原鎌足十一代兼通の裔本多八郞助政の次男宗正の後なり夫より六代正重に至り岐れて一家を爲し世々駿州田中の城主として四萬石を食みしか先代正訥に至り房州長尾に移さる 君は嘉永二年六月十一日を以て生る實は華族本多正貞の長男にして入りて當家を相續す明治三年長尾藩大參事に任す同七年官幣大社三島神社大宮司に任し爾來宮中勤務明宮殿下勤務仰付られ同十七年子爵を授けられ同二十三年貴族院議員に選はる爾後皇孫淳宮殿下光宮殿下御浴湯式鳴弦御用仰付られ同三十六年從三位に叙せらる 家族は前記の外孫正震(明三三、二生、養子正復長男)同恒子(同四四、二生、同三女)あり 四女治子(同一四、六生)は靜岡縣人菊川德藏に嫁し五女誠子(同一六、一一生)は分家し孫正弘(同三五、一二生、養子正復二男)は子爵稻葉正顯の養子となれり | |
Address phone | 神奈川、鎌倉、鎌倉町扇ケ谷 | |
Relative | 伯爵松浦厚,※侯爵伊達宗陳,※伯爵大隈重信,※伯爵松平賴壽,※伯爵伊達宗基,※子爵松井康義,※子爵稻葉正繩,※男爵佐竹義準 | |
Degree | 9 (except※2) | |
Pronounciation | ほんだ まさのり | |
Another name |