土居通夫 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳五等 | |
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爵位・身分・家柄 | 愛媛縣士族 | |
職業 | 大阪電燈株式會社、京阪電氣鐵道株式會社各取締役社長、日本生命保險株式會社、大阪電球株式會社、宇治川電氣株式會社、大阪俱樂部株式會社、大日本麥酒株式會社、株式會社大平銀行各取締役、株式會社大正貯金銀行頭取、帝國冷藏株式會社相談役、大阪商業會議所會頭 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保八年四月二十一日 (1837) | |
親名・続柄 | 大塚南平の六男 | |
家族 | 妻 ナミ 天保七、六生、愛媛、士、高間信義伯母 養子 剛吉郞 明三、一〇生、養女ヨシ夫、侯爵伊達宗陳弟、株式會社大正貯金銀行專務取締役 養女 ヨシ 明一四、一〇生、養子剛吉郞妻、鹿兒島、士、從五位勳四等五代友厚四女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊宇和島藩士大塚南平の六男にして天保八年四月二十一日を以て生れ先代嘉市の養子となり元治元年一月家督を相續す夙に漢學を修め師を求めて劍を學ひ砲術を練習し共に出藍の名あり元治慶應の頃京阪地方に在りて天下の名士と交り明治初年外國事務官を大阪に設置せらる〻や川口運上所出仕を命せられ尋て外國事務局御用掛を拜命し爾來大阪府少參事鐵道掛兼民部權少丞大阪府少參事司法省七等出仕司法省權少判事少判事判事に歷任し同十七年官を罷め身を實業界に投じ鴻池善右衞門の聘に應して同家の顧問となり同二十一年大阪電燈株式會社の創立に盡し其社長に推され同二十六年大阪商業會議所議員に擧けられ尋て會頭に推さる曾て大阪府第二區より選はれ衆議院議員となり又農商務省の囑託を受け歐米各國を歷遊して各國の商業會議所並に取引所の狀况を調査せり明治四十年日露事件の功により勳五等に叙せらる現時前記諸會社の重役として知らる 家族は尚孫保太郞(同三一、九生、養子剛吉郞長男)同萬之助(同四〇、九生、同二男)あり 女萬龜(同二九、一〇生)は愛媛縣士族松村銀太郞の養子となれり | |
住所・電話番号 | 大阪、北、常安町六五 電話西二八六 | |
参照人物(親類) | 侯爵伊達宗陳、五代龍作、※伯爵二荒芳德、※子爵本多康虎、※子爵丹羽長德、※男爵野付友太郞、※杉村正太郞 | |
参照次数 | 8 (※なし5) | |
読み | どい みちお | |
別名 |