坂田春雄 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從六位、勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府士族 | |
職業 | 愛知セメント株式會社取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永二年九月二十三日 (1849) | |
親名・続柄 | 坂田伯孝の長男 | |
家族 | 妻 さき 萬延元、七生、愛媛、士、松根權六妹 | |
記述部分(略伝) | 君は佐賀縣人坂田伯孝の長男にして嘉永二年九月二十三日を以て肥前佐賀に生る幼時長崎に出てゝ英學を致遠館に學ふ明治二年東上して開成中學を終へ更に大阪の工作局に遊ふ止まること一年偶々故佐野伯の歐洲大博覽會視察の隨行を命せられ次て子ロー博覽會の事務官として同地に止まること一年有半任滿つるや直ちにローヤルスクールプマイヱルに入校して日夜黽勉遂に泰西の文物を咀嚼し該博なる新智識を齎らして歸朝す歸來直ちに農商務書記官に任し從六位に叙せられ勳六等旭日章を賜はる尋て上野博物館副長に轉し間もなく上野大博覺會の開催さるゝや君其主任事務官として劇務に鞅掌し後又佛國大博覽會に參與して彼國の賞讃を博し同國高等の勳章を贈與せられたり以て君が斯道に於ける造詣の深きを窺ふに足らん其他各地の博覽會に參與したる事一再にして止まらす殊に濠洲メルボルンの大博覽會に赴くこと前後二回蓋し君を以て我國渡濠者の嚆矢とす明治二十三年愛知セメント會社の創立せらるゝや推されて重役となり現に其職に在り 長女てる(明一四、七生)は長野縣平民畑良太郞に二女きよ(同一八、一生)は男爵本野一郞弟亨に嫁し弟九郞(慶應三、八生)は其妻秦子(明一一、一生、東京、平、佐和正養子、侯爵、伊達宗陣養叔母)及其子女を伴ひ分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、下六番町五〇 電話番町八一八 | |
参照人物(親類) | 本野亨、畑良太郞、※伯爵柳原義光、※子爵瀧脇信錀、※子爵牧野忠良、※男爵伊達宗曜 | |
参照次数 | 9 (※なし4) | |
読み | さかた はるお | |
別名 |