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廣幡忠隆 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從四位
爵位・身分・家柄侯爵、舊公卿家
職業遞信局事務官補兼東京地方海員審判所審判官、貴族院議員
性別男性
生年月日明治十七年十二月十一日 (1884)
親名・続柄 廣幡忠朝の長男
家族妻 フミ 明二二、四生、大分、士、山本達雄二女
記述部分(略伝)當家は式部卿智仁親王の子中納言忠幸の裔なり忠幸は尾張大納言の養子となり後一家を興し源姓を賜ひ廣幡と稱し一千石を領せり忠幸より七代を經て先代侯爵忠朝に至る
君は其長男にして明治十七年十二月十一日を以て生れ同三十八年一月家督を相續し襲爵仰付けらる同四十二年東京帝國大學法科大學佛法科を卒業し法擧士の稱號を得後内閣總理大臣祕書事務取扱となり現時東部遞信局事務官補兼東京地方海員審判所審判官たり又貴族院議員を兼ぬ
家族は前記の外弟忠康(明三一、七生)同忠良(同三六、一生)長女信子(大二、八生)あり
妹朝子(明二三、一一生)は伯爵大谷光瑩三男瑩誠に同則子(同二四、一一生)は東京府平民久松定省に同康子(同二六、三生)は同府平民色部義太夫養子庸男に嫁し叔父重禮(同一六、九生)は栃木縣平民橫尾勝右衛門長女イツの婿養子となれり
住所・電話番号東京、麴町、下二番町七〇 電話番町一三〇二
参照人物(親類)伯爵大谷光瑩山本達雄橫尾勝右衛門、※松村眞一郞
参照次数4 (※なし3)
読みひろはた ただたか
別名
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