三浦基次 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊作州眞島藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年十月一日 (1872) | |
親名・続柄 | 三浦顯次の長男 | |
家族 | 妻 理女 明九、一一生、兵庫、平、三浦寬長女 男 義次 明三七、一〇生 女 鑒子 明三一、四生 | |
記述部分(略伝) | 當家は桓武天皇の皇子葛原親王の孫上總介高望の男良文の後なり其子忠通を經て爲通に至る爲通三浦長門守と稱す夫より十六世を經て正次に至る正次德川家光に仕へ少老の職に累進し野州壬生の城を賜ふ其後十一世を經作州眞島二萬三千石の城主として從四位子爵顯次に至る 君は其長男にして明治五年十月一日を以て生れ同二十八年十月家督を相續し襲爵仰付らる 妹錦子(明一四、一一生)は東京府人白井之保二男信之に同啓子(同一八、一生)は福岡縣士族渡邊敢に叔母參子(同七、四生)は伯爵大谷光瑩弟亡勝尊に嫁し違從妹悌子(同一〇、一〇生、伯父茂次三女)は岡山縣平民三浦計次方へ入家し違從弟光三郞(同三、三生)は男爵土倉家を相續せり | |
住所・電話番号 | 岡山、眞庭、勝山町 | |
参照人物(親類) | 伯爵大谷光瑩、男爵土倉光三郞 | |
参照次数 | 2 (※なし2) | |
読み | みうら もとつぐ | |
別名 |