三井八郞右衞門 (8th Edition [July 1928] )
Rank/ Honors/ Grade | 從三位、勳一等 | |
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Title/ Family rank etc. | 男爵、京都府華族 | |
Occupation | 三井(名)社長 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 安政四年一月 (1857) | |
Parent and relation | 三井高福の子 | |
Family | 妻 苞子 明二、一一生、伯爵前田利男叔母 男 高公 明二八、八生、正五位、法學士 婦 鋹子 明三四、三生、男高公妻、侯爵松平康莊長女、女子學習院出身 女 祥子 明四〇、四生、女子學習院出身 | |
Biography | 當家は關白藤原道長五世の孫信忠の子右馬助信生の後なり信生初めて三井を稱す信世十二世の孫出羽守乘定に至り佐々木滿經の二男高久を嗣となす是より源姓に改む高久江州鯰江の城主たり後五世越後守高安勢州に移り其子高俊松阪に於て初めて商賣を營む其子八郞兵衞高利に至り京都に出で京江戸大阪の三都に店舖を開き是に於て家道大に興る之を中興の祖となす高利の長男高平兄弟六人を本家となし之に五連家を加へて總て十一家共同一致家業永續の制を定めたり六本家の首班を總領家と稱す總領家高平七世の孫を高福とす 君は實に高福の末男にして男爵三井高精男爵三井壽太郞三井高昶の叔父に方り安政四年一月を以て生れ明治十八年實兄高朗の後を享けて家督を相續し幼名長四郞を改む夙に米國に遊學し明治二十六年以來三井家の事業を統轄す同二十九年特旨を以て華族に列し男爵を授けらる同三十九年日露事件の功に依り勳二等大正十三年勳一等に敍す先是明治四十三年歐米各國を巡遊視察す公共事業に盡す所尠なからず 家族は尚孫高元(大一〇、九生、嗣子高公長男)同高實(昭二、二生、同二男)あり 長女慶子(明二七、三生)は侯爵中御門經恭に二女裕子(同三〇、二生)は男爵鷹司信熙に三女興子(同三三、一生)は同族三井元之助長男高長に四女禮子(同三八、三生)は同族三井守之助長男高篤に嫁し三男高維(同三四、四生)は分家し姉甲子(嘉永元、二生)は同族三井源右衞門の養母にして同賢子(同五、一生)は京都府人柏原孫左衞門の祖母たり | |
Address phone | 東京、麻布、今井町四二 電青山三二六九・六〇二四 | |
Relative | 侯爵中御門經恭,侯爵松平康莊,伯爵前田利男,男爵鷹司信熙,男爵三井壽太郞,男爵三井高精,柏原孫左衞門,三井源右衞門,三井高昶,三井元之助,三井守之助,※公爵三條公輝,※公爵山縣有道,※侯爵德川義親,※伯爵久松定謨,※子爵石川成秀,※子爵岩倉具明,※子爵加藤泰通,※子爵竹屋春光,※子爵戸田康保,※子爵内藤信利,※子爵鍋島直庸,※子爵藤波茂時,※子爵松平慶民,※男爵德川喜翰,※男爵前田利功,※男爵毛利元良,※伴田六郞 | |
Degree | 28 (except※11) | |
Pronounciation | みつい はちろうえもん | |
Another name | 長四郞 |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- First Edition [April 1903]
- 4th Edition [January 1915]
- 8th Edition [July 1928]