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加藤泰通 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從四位、勳四等
爵位・身分・家柄子爵、舊豫州大洲藩
職業皇后宮事務官兼侍從式部官、皇后宮職庶務課長
性別男性
生年月日明治十二年四月 (1879)
親名・続柄 加藤泰秋の二男
家族母 福子 嘉永四、九生、公爵德大寺公弘叔母
妻 敬子 明二二、二生、侯爵松平康莊妹、學習院女學部出身
男 泰同 明四二、九生
記述部分(略伝)當家は左大臣藤原魚名の裔加藤七左衞門尉景義の末裔遠江守光泰の後なり光泰豐臣氏に仕へて寵任を得甲州一圓二十四萬石を賜ふ光泰朝鮮陣中に歿するに臨み嗣子幼弱にして大封を擁するは不可なりとなし封を辭す故を以て其子左近大夫貞泰に至リ濃州黑野四萬石に移封せらる貞泰關ケ原の役德川氏に屬して功あり後伯州米子に移リ又轉じて豫州大洲六萬石の城主となる夫より十世を經て泰幹に至る先代泰秋は其四男にして兄泰祉の後を繼ぎ明治十七年子爵を授けらる夙に宮中祗候明宮祗候被仰付後貴族院議員に擧げらる
君は其二男にして明治十二年四月を以て生れ大正十五年襲爵被仰付夙に學習院に學び後英國に留學す現時皇后宮事務官兼侍從兼式部官にして皇后宮庶務課長たり
家族は尚長女惠子(大一〇、四生)弟泰俊(明一四、二生、正六位勳四等、陸軍騎兵少佐、陸軍自動車學校附兼陸軍騎兵學校教官)同妻新歌子(同二三、一生、子爵毛利元雄妹)及び其二男一女弟廉夫(同四〇、一二生)あり
姉直子(同五、一一生)は子爵吉川元光先代經健に同壽賀子(同七、一生)は男爵吉川重國先代重吉に妹悦子(同一六、三生)は鹿兒島縣士族窪田文三に同秋子(同三八、一一生)は子爵大久保忠言弟凖に嫁し姉愛子(同一〇、九生)は伯爵土方久敬の母にして弟泰吉(同一七、五生)は子爵西尾忠篤の養子となり襲爵して忠方と改名し兄泰治(同四、九生)は分家し弟廉之(同三二、一一生)は其養子となれり
住所・電話番号東京、赤坂、青山南町六ノ一一六 電青山四一二〇
参照人物(親類)公爵德大寺公弘、侯爵松平康莊、伯爵土方久敬、子爵大久保忠言、子爵吉川元光、子爵西尾忠方、子爵毛利元雄、男爵吉川重國、※公爵西園寺公望、※公爵三條公輝、※公爵島津忠重、※公爵鷹司信輔、※侯爵佐竹義春、※侯爵德川義親、※伯爵中院亨、※伯爵乃木元智、※伯爵松平賴壽、※子爵阿部正一、※子爵相良賴綱、※子爵竹屋春光、※子爵戸田康保、※子爵中牟田武信、※子爵鍋島直庸、※子爵藤波茂時、※子爵松平慶民、※子爵松平賴孝、※男爵小早川四郞、※男爵住友吉左衞門、※男爵高千穗宣麿、※男爵德川喜翰、※男爵德大寺則麿、※男爵福原邦樹、※男爵三井八郞右衞門、※男爵毛利元良、※武富時敏
参照次数35 (※なし8)
読みかとう やすみち
別名
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