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萬里小路通房 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從二位、勳四等
爵位・身分・家柄伯爵、舊公卿
職業貴族院議員
性別男性
生年月日嘉永元年五月二十七日 (1848)
親名・続柄 萬里小路博房の長男
家族婦 智子 明一二、一〇生、亡長男直房妻、東京、平、萬里小路素信長女
庶子 通利 明二六、七生、生母、東京、士、松本ヱイ
大叔母 幸子 天保六、九生
記述部分(略伝)當家は大織冠藤原鎌足七世内舍人良門の裔正三位甘露寺資經の三男從三位左京太夫資通の後にして名家の列たり萬里小路に邸せしを以て遂に家稱を萬里小路と呼ふに至る資通の子從一位權大納言宣房後醍醐帝に奉仕す其子藤房誠忠無二元弘三年弟季房と俱に帝か奈良及赤坂城の行幸に供奉し松下の露玉袖に落つる夕賡和の詠をなせり苦衷追想すへきなり中興の大業なりて後苦諫用ひられすして遂に山中に隱れ其弟季房より十八代を經て正二位博房に至る
君は其長男にして子爵關博直男爵河邊博長の兄なり嘉永元年五月二十七日を以て生る安政四年元服して昇殿を聽され從五位に叙せらる戊辰の役錦旗を監し關東大監察三條實美に從ひて大總督の宮を輔佐し帷幄の參策其の宜きを得遂に東北平定の偉功を奏す明治三年十一月洋行の命を受け海外に留學すること數年大に泰西の新知識を得て同七年七月歸朝し同十七年四月家督を相續し同年七月伯爵を授けらる先之工部省御用掛宮内省御用掛を仰付られ又侍從に任す二十四年二月貴族院議員に當選し現時尚其職に在り從二位に進み勳四等に叙せらる
家族は前記の外庶子男通義(明三一、一〇生、生母、東京、士、松本ヱイ)同通雄(同三三、一生)同通孝(同三六、二生)庶子女壽美子(同三七、六生)孫芳房(同三六、三生、亡長男直房長男)あり
二男長通(同九、一〇生)は伯爵葉室長邦の死跡を相續し三女東美子(同三、一〇生)は海軍機關少將賀茂嚴雄に庶子女喜美子(同二二、五生、生母、東京、士、松本ヱイ)は伯爵酒井忠道男忠克に長女伴子(慶應三、正生)は伯爵堀田正恒先代正倫に妹千代子(安政二、六生)は子爵裏松良光に嫁し女李子(明元、一〇生)は東京府平民跡見花蹊の養子となれり
住所・電話番号千葉、安房、北條町
参照人物(親類)伯爵酒井忠道、伯爵葉室長通、伯爵堀田正恒、子爵關博直、子爵裏松良光、男爵河邊博長、男爵萬里小路元秀賀茂嚴雄跡見花蹊
参照次数9 (※なし9)
読みまでのこうじ みちふさ
別名
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