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酒井忠道 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳四等
爵位・身分・家柄伯爵、舊若州小濱藩主
職業
性別男性
生年月日嘉永四年六月五日 (1851)
親名・続柄 酒井忠錄の長男
家族妻 績子 明三、九生、伯爵宗重望妹
男 忠克 明一六、一一生、從五位
婦 喜美子 明二二、五生、男忠克妻、伯爵萬里小路通房女
男 四郞 明二二、五生、法學士、三井物産株式會社大阪支店員
男 五郞 明二五、四生、東京帝國大學工科大學生
記述部分(略伝)當家は源家の裔にして酒井廣親の二男備後守正利の後なり正利の子忠勝德川氏に仕へ若州小濱の城主となる夫より十一世を經て忠氏に至る
君は先々代忠錄の長男にして嘉永四年六月五日を以て江戸に生れ明治七年兄忠氏の後を享けて家督を相續す明治四年四月小濱藩廳出仕を仰付られ同十七年七月伯爵を授けらる同二十五年六月貴族院議員に當選し同三十年七月任期滿ちて之を罷む日清事件の功に依り勳四等に叙し旭日小綬章を賜ふ
家族は前記の外長女壽賀子(明三七、一二生)二女喜和子(同三九、九生)孫美枝子(同四三、二生、男忠克長女)同忠博(同四四、九生、同長男)同小枝子(大二、六生同二女)あり
男晴雄(明一九、九生)は分家し養妹辰子(同九、一生)も亦分家し後ち子爵慈光寺恭仲叔父仲誠と入夫婚姻し養弟千代吉麿(同三、一一生)は其妻錥子(同六、八生、男爵酒井忠精妹)を伴ひ分家し女鶴子(同一一、八生)は男爵二條正麿に嫁せり
住所・電話番号東京、牛込、矢來町一 電話番町三二八
参照人物(親類)伯爵宗重望、伯爵萬里小路通房、子爵慈光寺恭仲、男爵酒井忠精、男爵二條正麿酒井仲誠、※伯爵葉室長通、※伯爵堀田正恒、※伯爵立花寬治、※男爵淺野養長、※跡見花蹊
参照次数12 (※なし6)
読みさかい ただみち
別名
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