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堀田正恒 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正五位
爵位・身分・家柄伯爵、舊下總國佐倉藩
職業
性別男性
生年月日明治二十年十月二十一日 (1887)
親名・続柄 鍋島直柔の子 *
家族養母 伴子 慶應三、一生、伯爵萬里小路通房長女
妻 和子 明二七、一二生、亡養父正倫二女、學習院女學部出身
記述部分(略伝)當家は本性紀氏孝元天皇の皇子彦大忍信命四世孫大臣武内宿禰の裔八世鹽手臣の十五代左大辨紀長谷雄の後なり夫より十七代正重に至り尾張の津島に移住し族を堀田と稱す五代を經て從四位下堀田正盛に至る其三男正俊は即ち當家の祖なり正俊初め久太郞と稱す寬永二年將軍家光の命に依り外會祖母春日局の養子となり家綱に任へ一萬五千石を領す後備中守と爲り上州安中城二萬二千石に移り尋て食邑五千石を加增せられて老中に列す天和元年筑後守に任し轉して下總古河城に移り釆邑五萬石を加增せられ同年十二月進んて大老となり左近衛少將に任せられ同二年更に四萬石を加增し宗家堀田正信の治する下總佐倉の城主となり釆邑十三萬石を食む夫より八代を經て先代正倫に至る君其後を襲ふ
君實は子爵鍋島直和の弟にして明治二十年十月二十一日を以て生れ同四十二年六月堀田家に養はれ同四十四年家督を相續して襲爵仰付らる夙に東京帝國大學法科大學政治科に入り現に在學中なり育英及農事改良に多大の趣味を有し卒業の後大に爲すあらん事を期しつゝあり
家族は尚長女妙子(大元、一一生)あり
住所・電話番号東京、本鄕、向岡彌生町二 電話下谷五〇五
参照人物(親類)伯爵萬里小路通房、子爵鍋島直和、※伯爵葉室長通、※伯爵酒井忠道、※跡見花蹊
参照次数6 (※なし3)
読みほった まさつね
別名
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