跡見芲蹊 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 跡見女學校長 | |
性別 | 女性 | |
生年月日 | 天保十一年四月九日 (1840) | |
親名・続柄 | 跡見重敬の二女 | |
家族 | 養女 李子 明元、一〇生、伯爵萬里小路通房女 | |
記述部分(略伝) | 女史は攝津の人跡見重敬の二女にして天保十一年四月九日を以て生る安政四年分れて一家を創立す名は瀧野芲蹊は其號なり年甫めて十二畫を石垣東山及槇野楚山に學ひ漢學を後藤松陰に受け京都に出て贄を圓山應立の門に執れり明治八年女學校を神田區仲猿樂町に設く閑院宮妃智惠子殿下を初め貴紳の淑女來り學ふもの多く名聲頓に高し後校舍を小石川區柳町に移し益々教育界に貢献す今の跡見女學校是なり女史齡古稀を超へ尚ほ專心女子教育に盡瘁せり四十五年七月其功を賞せられ勳六等に叙し寳冠章を授けらる 養孫壽(明二五、一生、東京、士、新田純孝長女)は東京府人跡見泰に同ふさ(同二五、一一生、三重、平、廣岡平兵衛長女)は神奈川縣平民石川德右衛門養子範三に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、柳町二七 電話番町四七〇 | |
参照人物(親類) | 伯爵萬里小路通房、石川德右衛門、※伯爵堀田正恒、※伯爵酒井忠道、※伯爵葉室長通 | |
参照次数 | 6 (※なし2) | |
読み | あとみ かけい | |
別名 |