鍋島直大 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊佐賀藩主 | |
職業 | 宮中顧問官、議定官貴族院議員、日本赤十字社常議員、日本水難救濟會副總裁、日本音樂會々長、伊學協會々長、東京地學協會名譽評議員、大日本歌道奬勵會々長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化三年八月二十七日 (1846) | |
親名・続柄 | 鍋島直正の二男 | |
家族 | 妻 榮子 安政二、五生、伯爵廣橋眞光伯母、勳四等 男 直映 明五、七生、正四位 婦 禎子 明一五、一一生、長男直映妻、侯爵黑田長成妹 庶子男 貞次郞 明二〇、四生、生母、佐賀、士、大木益知二女朝千代 庶子男 孝三郞 明二一、九生、生母同上 庶子男 哲雄 明二八、二生、生母同上 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の裔茂昌の子直茂の後なり直茂關ケ原の役德川家康に屬して功あり後十一代にして直正に至る直正幕末に當り公武の間に奔走し幕府の大政奉還に盡瘁する處あり 君は其二男にして子爵鍋島直和の伯父なり弘化三年八月二十七日を以て佐賀に生る戊辰の役東北各地に轉戰して功あり明治二年佐賀藩知事を仰付らる同四年英國に留學し同十一年歸朝翌年外務省御用掛となり同十三年特命全權公使に任し伊國に駐劄爾來元老院議官式部官式部長官式部長等に歷任し明治十七年七月侯爵を授けらる方今宮中顧間官貴族院議員其他の顯職に在り 家族は前記の外孫直泰(明四〇、一〇生、長男直映長男)あり 二女伊都子(同一五、二生)は梨本宮守正王の妃とならせられ養姉藹子(天保一四、五生、子爵鍋島直和養大叔母)は子爵鍋島直彬に姉宏子(嘉永四、二生)は侯爵細川護成先代護久に妹幸子(文久元、二生)は侯爵池田仲博先代輝知に養女篤子(慶應三、七生、子爵鍋島直和養叔母)は伯爵阿部正直先代正桓に長女朗子(明三、六生)は侯爵前田利爲先代利▲に三女茂子(同一八、二生)は子爵牧野忠篤に四女信子(同一九、七生)は子爵松平保男兄恒雄に五女尚子(同二七、六生)は伯爵柳澤保惠養子保承に庶子女俊子(同二三、一〇生、生母、大木朝千代)は伯爵松平賴壽弟海軍大尉松平胖に嫁し弟直虎(安政三、二生)は故子爵鍋島直亮の養子となり子爵家を相續し二男直繩(明二二、五生)は子爵鍋島直彬の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、永田町二ノ一 電話新橋八二五 | |
参照人物(親類) | 梨本宮家、侯爵池田仲博、侯爵前田利爲、侯爵黑田長成、侯爵細川護成、伯爵廣橋眞光、伯爵松平賴壽、伯爵阿部正直、伯爵柳澤保惠、子爵鍋島直虎、子爵鍋島直彬、子爵牧野忠篤、子爵松平保男、子爵鍋島直和、※侯爵松平康莊、※子爵藤波言忠、※子爵黑田長敬、※男爵南光利、※男爵黑田長和 | |
参照次数 | 21 (※なし15) | |
読み | なべしま なおひろ | |
別名 |