柳澤保惠 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊和州郡山藩 | |
職業 | 貴族院議員、早稻田大學講師、第一生命保險相互會社々長、株式會社高等演藝塲取締役會長、株式會社六十八銀行顧問 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年十二月十六日 (1871) | |
親名・続柄 | 武田信之の子 * | |
家族 | 男 邁 明三六、五生 養子 保承 明二一、一二生、養父保申男、從五位、法學士 婦 尚子 明二七、六生、養子保承妻、侯爵鍋島直大五女、學習院女學部專修科出身 養弟 保篤 明二六、六生 | |
記述部分(略伝) | 當家は清和天皇の末にして武田大膳太夫信光十七世柳澤吉保の後なり夫れより五代を經て先代伯爵保申に至る君其後を受く 君實は柳澤光邦の弟にして明治三年十二月十六日を以て生れ同十九年先代の養子となり同二十六年十月家督を相續し襲爵仰付らる同十七年學習院を卒業し學習院學士の稱號を得同年獨逸に留學を命せられ同二十八年英國欽定統計學會より正會員に選擧せらる夫れより伯林大學墺國大學に入り白國に入りて佛語を修め同三十年萬國統計學會の選に依り統計學者として認定せらる同年九月諾威國クリスチヤニヤ市開會の統計學會に招待せられ本邦委員として出席し名譽を博し夫れより佛米を經て同三十三年歸朝教育の爲め盡す處あり爾後貴族院議員に互選せられ現に其職に在り尚早稻田大學講師にして第一生命保險相互會社々長たり 家族は前記の外長女露子(明三五、六生)あり 養弟保之(同二五、三生)は東京府士族武田やうの養子となり養妹菅子(同二三、一一生)は同府士族遠山景久に同武子(同二四、八生)は男爵岩崎久彌弟豐彌に同悦子(同二〇、九生)は東京府平民朝倉文三に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、田町八ノ一 電話長芝一四八七 | |
参照人物(親類) | 侯爵鍋島直大、子爵柳澤光邦、男爵岩崎久彌、朝倉文三、※梨本宮家、※侯爵前田利爲、※伯爵松平賴壽、※子爵牧野忠篤、※子爵松平保男、※子爵鍋島直彬 | |
参照次数 | 10 (※なし4) | |
読み | やなぎさわ やすとし | |
別名 |