鍋島直彬 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳二等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、錦鷄間祗候、舊肥前鹿兒島藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十四年十二月十一日 (1844) | |
親名・続柄 | 鍋島直永の三男 | |
家族 | 妻 藹子 天保一四、五生、侯爵鍋島直大養姉、子爵鍋島直和養大叔母 養子 直繩 明二二、五生、侯爵鍋島直大二男、從五位 婦 政子 明二八、一二生、養子直繩妻、子爵毛利元秀妹 | |
記述部分(略伝) | 當家は内大臣藤原鎌足の後裔鍋島平右衛門尉茂尚の後肥前佐賀の城主加賀守直茂の第二子和泉守忠茂の後なり忠茂父の封二萬石を分與され同國鹿島の藩主となる後十世を經て直賢に至り君其後を受く 君實は從五位下丹波守直永の第三子にして天保十四年十二月十一日を以て生る幼名を熊次郞といふ夙に重野安繹中村敬宇鹽谷宕陰等に就て學ひ長するに及んて鎔造館を設け文武の道を奬勵して後進を薰陶す嘉永年間先代の養子となり明治五年家督を相續す維新の際松平閑叟を輔け國事に奔走して功あり明治五年八月米國に航して文物制度を視察す翌六年歸朝同年侍從に同十二年沖繩縣令に同十四年元老院議官に任し同十七年七月子爵を授けらる同二十三年以來貴族院議員に當選すること四回現時其職に在り又錦鷄間祗候たり日露事件の功に依り勳二等に叙し瑞寳章を賜ふ 妹易子(弘化三、六生)は子爵鍋島直和の祖母たり 家族は尚孫直紹(明四五、九生、養子直繩長男)あり | |
住所・電話番号 | 佐賀▲藤津、鹿島町字納富分 | |
参照人物(親類) | 侯爵鍋島直大、子爵鍋島直和、※梨本宮家、※侯爵前田利爲、※伯爵柳澤保惠、※伯爵松平賴壽、※子爵牧野忠篤、※子爵松平保男、※子爵秋元興朝、※子爵宍戸功男、※子爵立見豐丸 | |
参照次数 | 13 (※なし3) | |
読み | なべしま なおよし | |
別名 | 熊次郞 |