細川護成 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊熊本藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治元年八月三日 (1868) | |
親名・続柄 | 細川護久の長男 | |
家族 | 母 宏子 嘉永四、二生、侯爵鍋島直大姉 妻 孝子 明一〇、五生、伯爵戸田氏共長女 妹 志津子 明五、八生 | |
記述部分(略伝) | 當家は源義家の裔義季に出つ義季三州細川邑を領す故に細川を以て姓とす義季の曾孫賴之足利氏の管領として名聲あり弟賴有右馬頭に任し阿波讃岐伊豫を領すこれ當家の祖なり數世を經て藤孝に至る藤孝削髮して幽齋と號す幽齋身兵馬倥偬の間に在りて典故に明かに特に和歌に長す其子忠興秀吉に仕へて功あり封を丹後に受く關ケ原の役德川氏に黨し亂平くに及んて豐前三十七萬石に封せられ寬永九年更に肥後一圓及豐後三郡の地を賜ひ封邑五十四萬石と爲る同年居城を熊本に移す忠興より十二世を經て護久に至る護久明治元年議定と爲り後參與に任し同四年陸軍少將に任し同十七年侯爵を授けらる 君は其長男にして明治元年八月三日を以て生る同十八年英國に留學し同二十年佛の「エコールポルニツク」に學ふ同二十六年家督を嗣き貴族院議員となる同三十九年日露事件の功に依り勳四等に叙せられ旭日小綬章を授けらる現時東亞同文書院に長たり 家は前記の外長女英子(明三五、一生)あり 弟護立(同一六、一〇生)は男爵細川護晃の後を嗣き妹悦子(同一〇、九生)は公爵一條實輝に嫁し弟護全(同一四、三生)は子爵長岡護美の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、高田老松町七六 電話番町四五〇 | |
参照人物(親類) | 公爵一條實輝、侯爵鍋島直大、伯爵戸田氏共、子爵長岡護孝、男爵細川興增、男爵細川護立、※侯爵池田仲博、※子爵鍋島直虎、※子爵松平直平 | |
参照次数 | 9 (※なし6) | |
読み | ほそかわ もりしげ | |
別名 |