岩倉具張 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 公爵、舊公卿家 | |
職業 | 陸軍步兵少尉、貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十一年七月三日 (1878) | |
親名・続柄 | 岩倉具定の長男 | |
家族 | 祖父 具綱 天保一二、四生 母 久子 文久二、一〇生、伯爵澤宣武大叔母、勳四等 妻 櫻子 明一九、一生、侯爵西鄕從德妹 男 具榮 明三七、二生 弟 具高 明二三、六生 弟 具顯 明二七、九生 妹 花子 明三〇、一生、學習院女學部專修科在學 妹 秀子 明三〇、一〇生、學習院女學部在學 | |
記述部分(略伝) | 當家は具平親王の第一子右大臣源師房より出づ師房二十世の孫具堯姓を岩倉と改む夫れより十三代にして維新の元勳具視に至る具視より具綱を經て具定に及び祖先の勳功に依り公爵を授けらる 君は其嫡男にして明治十一年七月三日を以て生れ同四十三年家督を相續し襲爵被仰付曩に皇太后宮主事兼宮内書記官たり 家族は前記の外二男具實(明三八、二生)三男具方(同四一一生)長女初子(同四二、一〇生)二女雅子(同四四、四生)三女靖子(大元、一二生弟良具(明三二、一生あり 姉周子(同九、八生)は東伏見宮依仁親王妃殿下とならせられ妹豐子(同一三、一一生)は侯爵西鄕從德に同米子(同一八、一一生)は子爵水野忠美に叔母恭子(慶應元、五生)は男爵中御門經隆に同亥尾子(明六、八生)は男爵南岩倉具威に大叔母極子(安政四、一一生)は伯爵戸田氏共に嫁し弟具幸(明一二、八生)は其妻尚(同一七、八生、子爵松井康義妹)と共に同具美(同一七、八生)は各分家し叔母寬子は子爵森清の母なり尚子爵家(當主具明)男爵家(當主具德)男爵家(當主道俱)は皆當家の支流なり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、裏霞ケ關三、 電話新橋八一五 | |
参照人物(親類) | 東伏見宮家、侯爵西鄕從德、伯爵戸田氏共、伯爵澤宣武、子爵水野忠美、子爵松井康義、子爵森清、子爵岩倉具明、男爵南岩倉具威、男爵岩倉具德、男爵岩倉道俱、男爵中御門經隆、岩倉具綱、※子爵六鄕政賢、※子爵酒井忠亮、※男爵澤宣元、※男爵上村彦之丞、※古河虎之助、※平岡良助 | |
参照次数 | 20 (※なし14) | |
読み | いわくら ともはる | |
別名 |