南岩倉具威 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、公爵岩倉家分家 | |
職業 | 貴族院議員、東亞同文會評議員、男爵會幹事、私立中央商業學校長、同夜學校長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治二年六月二日 (1869) | |
親名・続柄 | 堀河康隆の子 * | |
家族 | 妻 亥尾子 明六、八生、公爵岩倉具張叔母 男 具勝 明二九、一一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は中務卿具平親王の子師房の裔具僧の末葉にして故岩倉具視の次男具義の立つる所なり具義初め僧侶となり後復飾して一家を創立し南岩倉と稱す後更に華族に列せられ君其後を享く 君實は侯爵花山院親家子爵堀河護麿の實兄にして明治二年六月二日を以て生れ幼名を昌丸と云ふ同十二年五月先代具義の養子となり同年六月家督を相續し同十七年男爵を授けらる同二十三年八月學習院生徒を以て英國に留學し同二十八年九月歸朝同三十二年五月英國牛津大學に於て「マスター、オブ、アーツ」の學位を授與せらる同三十三年十月内務大臣祕書官に任せらる現時貴族院議員にして又前揭校長として育英に從事す曩に日露事件の功に依り勳四等に叙せらる 家族は前記の外二男具聰(明三一、八生)三男具俊(同三二、八生)長女萬佐子(同四二、五生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、麴町、中六番町五〇 電話番町八〇一 | |
参照人物(親類) | 公爵岩倉具張、侯爵花山院親家、子爵堀河護麿、岩倉具綱、※子爵森清、※男爵岩倉具德、※男爵中御門經隆 | |
参照次数 | 7 (※なし4) | |
読み | みなみいわくら ともたけ | |
別名 | 昌丸 |