戸田氏共 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、舊大垣藩主 | |
職業 | 式部長官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年六月二十九日 (1854) | |
親名・続柄 | 戸田氏政の五男 | |
家族 | 妻 極子 安政四、一一生、公爵岩倉具張大叔母 養子 氏秀 明一五、一生、二女米子夫、子爵大河内輝耕弟、正五位、東宮主事 女 米子 明一二、九生、養子氏秀妻 | |
記述部分(略伝) | 當家は藤原鎌足の裔正親町三條公治の長男實興より出つ後六代を經て一西に至る一西德川秀忠に從ひ功を樹て近江に於て三萬石に封せられ膳所に居城す後五萬石となり寬政十二年美濃大垣に移され十萬石を領す夫れより九代氏彬を經て君に至る 君は先々代氏政の五男にして先代氏彬の弟なり安政元年六月二十九日を以て生れ慶應元年七月兄氏彬の養子となり封を襲く明治元年東海道鎭撫總督に從て功あり同二年大垣藩知事となる同四年米國に留學す同十二年十月文部省御用掛を命せられ同十九年三月公使館參事官に同二十年辨理公使に同年六月特命全權公使に任し墺國維也納在勤を命ぜられ後諸陵頭兼主獵官式部官次長兼主獵官兼官中顧問官等に歷任し現時に至る先是明治十七年七月伯爵を授けらる 家族は前記の外庶子女富子(明三五、一生、生母、神奈川、平、飯塚まさ)孫氏重(同三七、七生、養子氏秀長男)同愛子(同三八、一二生、同長女)同元子(同四〇、五生、同二女)同氏武(同四一、九生、同二男)同氏克(同四四、九生、同三男)同氏忠(大二、九生、同四男)あり 女かう(明一〇、五生)は侯爵細川護成に女幸子(同一四、二生)は子爵松平直平に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、神田、駿河臺南甲賀町六 電話本局二一一、四二四 | |
参照人物(親類) | 公爵岩倉具張、侯爵細川護成、子爵大河内輝耕、子爵松平直平、※侯爵淺野長勳、※子爵内藤賴輔、※男爵岩倉道俱、※岩倉具綱 | |
参照次数 | 8 (※なし4) | |
読み | とだ うじたか | |
別名 |