西園寺公望 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、大勳位 | |
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爵位・身分・家柄 | 公爵、舊公卿家 | |
職業 | 前官禮遇、貴族院議員、臨時帝室編修局顧問 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永二年十月 (1849) | |
親名・続柄 | 德大寺公純の二男 | |
家族 | 養子 八郞 明一四、四生 | |
記述部分(略伝) | 當家は閑院太政大臣公季の五代三條權大納言公實の第四子權中納言通季の後なり西園寺家と稱し七清華の一たり通季より二十八世を經て右中將師季に至る君其後を承く 君は從一位德大寺公純の二男にして公爵德大寺公弘の叔父たり嘉永二年十月を以て生る戊辰の役山陰道鎭撫使奧羽征討越後口總督等となり勳功あり明治三年佛國に留學し居ること十年新知識を得て歸朝し東洋自由新聞を發行す同十七年侯爵を授けらる爾來駐墺駐獨各特命全權公使賞勳局總裁貴族院副議長樞密顧問官文部大臣(二囘)樞密院議長内閣總理大臣臨時代理等に歷任し故伊藤公を輔けて立憲政友會を起し尋で其後を承けて總裁に擧げらる同三十八年桂内閣に代りて内閣を組織し外務大臣を兼任し戰後經營の大任に膺り同四十四年再び内閣を組織す大正八年巴里媾和會議に日本全權委員として參列し其副議長に推され同九年勳功に依り公爵に陞さる明治以來の功臣として元老の優遇を享く文事を嗜み陶庵と號す 庶子園(明三七、七生、生母、東京、中西ふさ、佛英和高等女學校出身)は福井縣人高島正長男正一に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、神田、南甲賀町五 電神田八七九 | |
参照人物(親類) | 公爵德大寺公弘、西園寺八郞、※公爵島津忠重、※公爵鷹司信輔、※侯爵佐竹義春、※伯爵中院亨、※子爵阿部正一、※子爵加藤泰通、※子爵相良賴綱、※子爵松平賴孝、※男爵住友吉左衞門、※男爵高千穗宣麿、※男爵德大寺則麿 | |
参照次数 | 13 (※なし2) | |
読み | さいおんじ きんもち | |
別名 |