高千穗宣麿 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊僧家 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年十二月 (1864) | |
親名・続柄 | 德大寺實則の子 * | |
家族 | 妻 芳子 明二、六生、伯爵室町公藤叔母 男 俊磨 明二〇、一生、正五位、官幣中社英彦山神社宮司 婦 ユキヱ 明二八、一生、長男俊麿妻、福岡、角銅朝太郞長女 男 福麿 明三一、六生、經濟學士 庶子 喜久子 明三五、八生、生母、福岡、岡田セツ、東洋高等女學校出身 庶子 若子 明四〇、一生、生母、福岡、岡田セツ 庶子 明子 明四一、九生、生母、福岡、岡田セツ | |
記述部分(略伝) | 當家は後伏見天皇の皇子長助法親王の後なり夫より十六代の間世々彦山の座主として僧正の位を繼ぎ權僧正教有に至る教有維新の際勤王の功あり明治元年僧正を返上し復飾して更に英彦山神社大宮司に任ぜられ同二年姓を高千穗と稱す其子有綱家を繼ぎ同六年特旨を以て華族に列せらる 君實は公爵德大寺公弘の弟男爵德大寺則麿の兄なり元治元年十二月を以て生れ教有の養子となり明治十六年家督を相續し英彦山神社宮司となり同十七年男爵を授けらる昆蟲學硏究に趣味を有し農商務省農事試驗場帝室博物館囑託となり又貴族院議員に擧げらるゝこと二囘に及ぶ 家族は尚庶子達子(大七、九生、生母、中谷シヅ)孫有孚(同四、八生、長男俊麿長男)同有智(同七、九生、同二男)同篤子(同一〇、五生、同二女)同有英(同一三、七生、同三男)あり 長女喜巳子(明二六、一〇生)は愛媛縣人栗田保吾に庶子幸子(同四二、一〇生、生母、福岡、岡田セツ)は福岡縣人水谷楯造長男光治に各養子となり二女小松(同三三、八生)は同縣人高松岩根に嫁せり | |
住所・電話番号 | 福岡、田川、彦山村 | |
参照人物(親類) | 公爵德大寺公弘、伯爵室町公藤、男爵德大寺則麿、※公爵西園寺公望、※公爵島津忠重、※公爵鷹司信輔、※侯爵佐竹義春、※伯爵中院亨、※子爵阿部正一、※子爵加藤泰通、※子爵相良賴綱、※子爵松平賴孝、※男爵芝亭公同、※男爵住友吉左衞門 | |
参照次数 | 14 (※なし3) | |
読み | たかちほ のぶまろ | |
別名 |