伊達宗彰 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊宇和島藩 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三十八年三月 (1905) | |
親名・続柄 | 伊達紀隆の三男 | |
家族 | 養母 孝子 明七、一一生、侯爵德川賴貞叔母 | |
記述部分(略伝) | 當家は中納言伊達政宗の長子遠江守秀宗の後なり秀宗慶長十九年伊豫國宇和島十萬石に封ぜられ夫より六世を經て從一位勳一等宗城に至る宗城維新の際國事に奔走して盛名あり明治初年外國知官事民部卿大藏卿に歷任して大に勳功あり宗德其後を享け明治十七年伯爵を授けられ同二十四年父の勳功に依り侯爵に陞さる先代宗陳は其長男にして夙に英國に留學し歸朝後式部官主獵官宮中顧問官等に歷任す君其後を嗣ぐ 君實は先代宗陳の分家弟陸軍步兵中佐元式部官伊達紀隆の三男にして子爵蒔田廣城の再甥に當り母智子は子爵北條雋八の姉なり明治三十八年三月を以て生れ伯父宗陳の養子となり大正十二年家督を相續し襲爵仰付けられ前名彰を改む松山高等學校を經て東京帝國大學法學部に入り在學中高等試驗に合格し昭和二年卒業と同時に大藏屬に任ぜられ今日に至る曩に一年志願兵として軍務に服す 家族は尚大叔母國子(明二四、四生)あり 故北白川宮能久親王妃富子殿下は君の伯母にして伯父康虎(元治元、六生)は故子爵本多康穰に叔父剛吉郞(明三、一生)は愛媛縣士族土居通夫に同長德(同六、八生)は故子爵丹羽長國に各養子となり同俊次(同六、八生)も亦子爵一柳紹念の養子となり直德と改名し同故武四郞(同元、八生)は同妻冏子(同一二、一生、伯爵松浦厚妹)を伴ひ分家し同十郞(同三一、一二生)は其養子となり同芳德(同一九、一〇生)は伯爵二荒家を相續し大叔父宗敦(嘉永五、五生)は伯爵伊達興宗三代の祖慶邦の養子となり後分家して男爵を授けられ其男宗經當主たり同忠良(明三、一二生)は牧野忠泰の後を繼ぎ子爵を授けられ同宗曜(同一三、五生)は分家し叔父男爵宗倫の後を相續し其子宗光當主たり大伯母初子(安政元、三生)は伯爵柳原義光先代前光に大叔母照子(萬延元、二生)は男爵三井壽太郞先代八郞次郞に嫁し同泰子(同一一、一生)は東京府人佐和正の養子となり後同府士族坂田春雄養子九郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、白金三光町五二〇 電高輪六六〇〇、七七〇〇 | |
参照人物(親類) | 侯爵德川賴貞、伯爵伊達興宗、伯爵二荒芳德、伯爵松浦厚、伯爵柳原義光、子爵丹羽長德、子爵一柳直德、子爵北條雋八、子爵本多康虎、子爵牧野忠良、子爵蒔田廣城、男爵伊達宗光、男爵伊達宗經、男爵三井壽太郞、土居剛吉郞、※侯爵大隈信常、※伯爵園基久、※伯爵松平賴壽、※子爵大久保忠春、※子爵大久保教尚、※子爵戸澤正己、※子爵本多正復、※子爵松井康昭、※子爵松平賴和 | |
参照次数 | 24 (※なし15) | |
読み | だて むねあき | |
別名 | 彰 |