松浦厚 (4th Edition [January 1915] )
Rank/ Honors/ Grade | 從三位 | |
---|---|---|
Title/ Family rank etc. | 伯爵、舊肥前平戸藩主 | |
Occupation | 貴族院議員 | |
Gender | 男性 | |
Birthday | 元治元年六月三日 (1864) | |
Parent and relation | 松浦詮の長男 | |
Family | 母 澄子 天保一四、一〇生、子爵青山幸宜姉 妻 益子 慶慶三、二生、侯爵淺野長勳養女 男 陞 明一七、三生、從五位 婦 敬子 明二二、五生、長男陞妻、侯爵德川圀順妹 女 晃子 明二八、一〇生、學習院女學部出身 女 紘子 明三一、八生、學習院女學部在學 妹 宣子 慶應元、四生 | |
Biography | 當家は源融の後裔なり後四代を經て授に至り肥前松浦に住し姓を松浦と稱す爾後八世を經て定に至る定武勇あり後醒醐天皇の勅を奉し北條高時を攻めて功あり卒後祀られて若宮明神といふ夫より九代鎭信に至り德川氏に仕へ肥前平戸の城主として六萬千七百石に封せらる爾來六世を經て詮に至る詮夙に勤王の志を拖き戊辰の役各所に轉戰して功あり明治二年上局副議長兼制度寮副總裁平戸藩知事少教正華族第四部長御歌會讃者等に歷任し又明宮祇候勤務及常宮御養育掛仰付られ貴族院議員に互選し明治十七年伯爵を授けらる 君は其長男にして子爵井上勝純同松浦靖の兄なり元治元年六月三日を以て生れ明治四十一年先代詮薨去により君其後を享け襲爵仰付らる曩に貴族院議員に互選せられ辛亥俱樂部に屬す君亦灣洲と號し漢詩を能くす 家族は前記の外三女和子(明三四、三生)四女克子(同三六、八生)三男騤(同三九、九生)孫素(同四五、一生、長男陞長男)同規(大二、三生、同二男)あり 弟凖(明二、五生)は其妻成子(同一三、二生、男爵伊達基妹)及其子を伴ひ佐竹きんの養子となり義凖と改名し同常信(同四、八生)は伯爵大隈重信の孫光子の夫となり叔母益子(安政三、四生)は伯爵園基資に妹逸子(慶應元、五生)は伯爵松平賴壽叔父賴温に同都子(同二、三生)は伯爵伊達宗基に同正子(明九、六生)は子爵松井康義に同冏子(同一二、一生)は侯爵伊達宗陳弟武四郞に嫁し弟正繩(慶應三、七生)は子爵稻葉家を相續し同正復(明六、二生)は子爵本多正憲の養子となれり | |
Address phone | 東京、淺草、向柳原町二ノ一 電話下谷八八九 | |
Relative | 侯爵淺野長勳,侯爵德川圀順,侯爵伊達宗陳,伯爵伊達宗基,伯爵園基資,伯爵大隈重信,伯爵松平賴壽,子爵井上勝純,子爵松井康義,子爵稻葉正繩,子爵本多正憲,子爵青山幸宜,子爵松浦靖,男爵伊達基,男爵佐竹義凖,※子爵岩城隆德,※伯爵中川久任 | |
Degree | 17 (except※15) | |
Pronounciation | まつうら あつし | |
Another name |
JINJIKOSHINROKU (who's who)
- 4th Edition [January 1915]
- 8th Edition [July 1928]