淺野長勳 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從一位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、麝香間祗候、舊廣島藩主 | |
職業 | 貴族院議員、株式會社十五銀行取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十三年七月二十三日 (1842) | |
親名・続柄 | 淺野懋昭の長男 | |
家族 | 妻 綱子 弘化四、六生、侯爵山内豊景大々叔母 養子 長之 元治元、五生、亡伯父懋績七男、正四位、式部官兼主獵官 孫 長武 明二八、七生、養子長之長男 孫 禮子 明二九、一一生、養子長之長女 | |
記述部分(略伝) | 當家は淺野又右衛門長勝の子彈正小弼長政の後なり十一世を經て長訓に至る君其後を享く 君は先代長訓の弟懋昭の長男にして男爵淺野守夫の甥なり天保十三年七月二十三日を以て生る安政三年三月先代長訓の養子となり同五年十一月家督を相續す慶應三年以來議定職會計事務總裁參與職麝香間祗候を歷任し明治二年廣島藩知事に任せられ同十三年元老院議官に轉し同十五年特命全權公使に任し同二十三年十二月貴族院議員となり現に其職に在り 家族は前記の外孫峰松(明三三、七生、養子長之二男)同望子(同三九、三生、同二女)同鐵馬(同四一、六生、同三男)あり 從弟倉吉(同四、五生、亡伯父懋績八男)は伯爵中川家を嗣き久任と改名し再從弟長和(同三、一〇生、亡從弟長厚長男)は東京府士族淺野正言に養子となり弟正桓(嘉永四、一二生)は伯爵阿部正方の養子となり其子正直家督を相續し女益子(慶應三、一〇生)は伯爵松浦厚に嫁し弟養長(明四、九生)は分家せり | |
住所・電話番号 | 東京、本鄕、向ケ岡彌生町三 電話下谷八一 | |
参照人物(親類) | 侯爵山内豐景、伯爵中川久任、伯爵阿部正直、伯爵松浦厚、子爵大河内輝耕、男爵淺野養長、男爵淺野守夫 | |
参照次数 | 10 (※なし7) | |
読み | あさの ながこと | |
別名 |