中牟田倉之助 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊佐賀藩士 | |
職業 | 退役海軍中將、樞密顧問官 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保八年二月二十四日 (1837) | |
親名・続柄 | 金丸孫七の二男 | |
家族 | 男 武正 明一〇、七生、正五位勳四等功四級海軍少佐 婦 幸子 明二一、一一生、長男武正妻、子爵毛利元雄妹 | |
記述部分(略伝) | 當家の祖六郞兵衛は藤原鎌足の裔なり六郞兵衛より敏世を經て武貞に至り君其後を襲く 君實は佐賀縣士族金丸孫七の二男にして天保八年二月二十四日を以て生れ出て、中牟田家の養子となる夙に身を軍籍に列し維新の際東北各地に轉戰し驍名あり後海軍中佐に任せられ明治四年大佐に進み其年少將に昇任す西南の役河村純義の事務代理として功あり同十一年中將に進み同十七年子爵を授けらる後樞密顧問官に任せられ現に其職にあり其間橫須賀呉各鎭守府長官海軍大學校長海軍參謀本部長海軍軍令部長等の榮職に歷補せらる 家族は前記の外孫松子(明四一、九生、長男武正長女)同明子(同四三、三生、同二女)同好子(同四五、四生、同三女)あり 四女鶴子(同一四、一一生)は工學博士伊東忠太に長女濱子は陸軍步兵少佐相良賴見に二女今子(慶應三、二生)は東京府平民塚原周造に三女常子(明一二、五生)は醫學博士入澤達吉に五女貞子(同一九、七生)は兵庫縣士族小寺謙吉に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、赤坂、青山南町六ノ六七 電話芝二六四五 | |
参照人物(親類) | 子爵毛利元雄、伊東忠太、入澤達吉、小寺謙吉、※子爵加藤泰秋、※男爵福原邦樹、※男爵德大寺則麿、※男爵小早川四郞、※男爵三條公輝 | |
参照次数 | 10 (※なし4) | |
読み | なかむた くらのすけ | |
別名 |