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中牟田倉之助 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級從二位、勳一等
爵位・身分・家柄子爵
職業後備海軍中將、樞密顧問官
性別男性
生年月日天保八年二月二十四日 (1837)
親名・続柄 金丸武七の二男
家族妻 梅子 弘化四年八月生佐賀縣士族石井彦藏二女
男 武正 明治十年七月生
女 貞子 明治十九年七月生
記述部分(略伝)君が祖先六郞兵衞は藤原鎌足の後なり六郞兵衞及び其子三右衞門武名あり後ち數世を經て武貞あり武貞博識君は其後を襲ぐ
佐賀縣士族金丸武七の次男にして天保八年二月二十四日出生幼にして蘭學を研究し海軍の事を習得す明治元年維新の際には東北各地凾舘戰爭に於て驍名あり同年海軍中佐に同四年大佐に進み其年少將となる西南の役に河村純義の事務代理を爲して功あり同十一年中將に進み同十七年子爵を授けらる橫須賀及呉の鎭守府長官海軍大學校長兼海軍參謀部長海軍々令部長樞密顧問官等に歷任せり
女今子(慶應三年二月生)は會社員塚原周造に同鶴子(同十四年十一月生)は山形縣士族伊東忠太に嫁せり
住所・電話番号東京市赤坂區青山南町六ノ六七
参照人物(親類)塚原周造
参照次数2
読みなかむた くらのすけ
別名