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相馬順胤 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級從三位
爵位・身分・家柄子爵、舊磐城國中村藩主
職業
性別男性
生年月日文久三年九月二十九日 (1863)
親名・続柄 相馬充胤の三男
家族妻 碩子 明六、一〇生、子爵有馬純文妹、子爵秋元興朝養妹
男 孟胤 明二二、八生、從五位
婦 邦子 明二六、四生、長男孟胤妻、子爵土屋正直妹
男 廣胤 明二六、二生
男 正胤 明二八、一生
女 澤子 明三一、一一生
記述部分(略伝)當家は平高望の二男平親王將門より出づ將門より三十七代を經て先代子爵誠胤に至る世々中村六萬石の城主たり
君は先代誠胤の弟先々代充胤の三男にして文久三年九月二十九日を以て生る幼名を龜五郞と稱す明治二十五年三月家督を相續し襲爵被仰付
家族は前記の外孫惠胤(大二、三生、長男孟胤長男)あり
甥秀胤(明二二、八生、亡兄誠胤長男)は子爵織田信敏の養子となり信恆と改名し織田家を襲ぎ長女元子(同二五、一生)は子爵青山忠精先代忠允に妹花子(同一二、三生)は子爵有馬純文に嫁し兄義理(安政五、九生)は子爵佐竹家を襲き其子義種當主たり
住所・電話番号東京、麴町、内幸町一ノ六 電話新橋一五八
参照人物(親類)子爵有馬純文、子爵織田信恒、子爵佐竹義種、子爵秋元興朝、子爵青山忠精、子爵土屋正直、※子爵毛利元秀、※子爵久世廣英
参照次数9 (※なし6)
読みそうま ありたね
別名龜五郞
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