Japanese

青山忠精 (4th Edition [January 1915] )

Rank/ Honors/ Grade
Title/ Family rank etc.子爵、舊丹波篠山藩
Occupation
Gender男性
Birthday明治四十二年十一月二十三日 (1909)
Parent and relation 青山忠允の長男
Family母 元子 明二五、一生、子爵相馬順胤長女
Biography當家は藤原鎌足十三代攝政關白師實の支裔正二位内大臣師繼の後なり師繼より四代を經て師重に至り青山藏人佐と稱すそれより八代播磨守忠成德川秀忠の傳たり慶長六年封邑一萬五千石を賜はり江戸町奉行となり關西總奉行を兼ぬ其孫宗俊に至り信州小諸五萬石の城主となり宗俊の子及孫共に遠川濱松城を領し元祿十五年丹波龜山城に轉し其次世忠朝寬延元年篠山城に移さるそれより三代忠裕幕府の閣老となり幕政に參與すること四十餘年秩祿一萬石を加增せられ更に三代を經て先代忠允に至る忠允實は故青山忠惇の長男にして明治二十年七月當家の養子となり先々代忠誠の跡を嗣き同四十三年病を以て卒す
君は其長男にして男爵成瀨正雄の違從弟なり明治四十二年十一月二十三日を以て生れ同四十三年八月父の歿後を嗣く
大叔父增式(天保一〇、九生)は子爵大關增輝の曾祖父にして養大叔母まさ子(明二、一一生)は子爵阿部正基父正敬に嫁し弟忠德(同四三、一一生)は家に在り
Address phone東京、赤坂、表町三ノ一六 電話新橋一一一四
Relative子爵阿部正基,子爵大關增輝,子爵相馬順胤,子爵成瀨正雄
Degree4 (except※4)
Pronounciationあおやま ただきよ
Another name
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