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若尾民造 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級勳四等
爵位・身分・家柄山梨縣平民
職業合名會社若尾銀行頭取、株式會社若尾貯蓄銀行、帝國火災保險株式會社、猪苗代水力電氣株式會社、常磐生命保險株式會社各取締役、株式會社日本興業銀行、橫濱正金銀行各監査役、株式會社甲府米穀取引所相談役、甲府商業會議所會頭
性別男性
生年月日嘉永六年十二月四日 (1854)
親名・続柄 細田利兵衞の三男
家族妻 幾く 安政二、八生、山梨、平、若尾林右衞門孫
養子 粲四郞 明八、五生、長女ゑい夫、子爵小笠原勁一叔父
女 ゑい 明九、五生、養子粲四郞妻
養子 璋八 明六、七生、二女きよの夫、山梨、平、廣瀨久政弟
男 謹之助 明一五、一〇生、法學士
婦 ハル 明二〇、六生、三男謹之助妻、故子爵西寬二郞三女
男 鐵之助 明二二、五生
婦 百合子 明二四、八生、四男鐵之助妻、東京、平、宮下左右輔妹
養子 音造 明一四、七生、養子きみ夫、山梨、平、中込文吉弟、草薙合資會社業務執行社員
養子 きみ 明一九、八生、養子音造妻、山梨、平、小野善太郞母
養子 金造 明二二、一生、五女政世夫、山梨、平、相吉長造弟
女 政世 明二四、二生、養子金造妻
孫 萩野 明三一、八生、養子粲四郞長女
記述部分(略伝)君は山梨縣平民細田利兵衞の三男にして嘉永六年十二月四日を以て生れ明治五年先代亡若尾逸平の養子となり同二十七年十月家督を相續す細心家政を執り若尾家をして克く今日あらしめたるもの實に先代逸平の創業と君か踏襲宜しきを得たるとに因る曾て甲府市長として或は甲府市參事會員として市政の改善に力を致し其他金品を献納し公共事業に盡瘁したること尠からす功を以て勳四等に叙せらる現時前記諸會社の重役に擧けられ尚甲府市參事會員甲府商業會議所會頭の公職に在り
家族は前記の外孫榮壽(明二九、一一生、養子粲四郞長男)同德次郞(同三三、一〇生、同二男)同逸三(同三六、五生、同三男)同幾四郞(同三八、五生、同四男)同米子(同四〇、八生、同二女)同政子(同四二、一生、同三女)同壽子(同四三、一一生、同四女)同豁(同四五、四生、同五男)同信次郞(同四四、四生、養子音造二男)同睦子(大二、一生、同長女)同彌生(同二、四生、四男鐵之助長女)同美枝子(同三、一生、養子金造長女)あり
五男聖之助(明三〇、一〇生)は養父亡逸平の養子となり三女千代(同一八、五生)は神奈川縣平民若尾幾造長男幾太郞に四女れん(同二〇、七生)は東京府平民大橋新太郞長男進一に六女藤野(同二七、四生)は神奈川縣平民平沼久三郞に嫁せり
住所・電話番号甲府、山田町一三
参照人物(親類)子爵小笠原勁一大橋新太郞平沼久三郞若尾幾造若尾璋八廣瀨久政宮下左右輔、※子爵土井利剛、※子爵柳生俊郞、※雨宮亘
参照次数11 (※なし7)
読みわかお たみぞう
別名
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