柳生俊郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正三位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊和州柳生藩主 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永四年二月十六日 (1851) | |
親名・続柄 | 武田舜山の五男 | |
家族 | 妻 多鶴 嘉永元、六生、伯爵室町公藤大叔母 養子 俊久 慶應三、三生、長女ます夫、子爵小笠原勁一叔父、正五位勳四等、陸軍步兵中佐 女 ます 明六、七生、養子俊久妻 庶子男 季愛 明二六、一〇生、生母、東京、平星野せつ 孫 喜久 明三二、八生、養子俊久三女 | |
記述部分(略伝) | 當家は菅原道實の後なり數世を經て宗嚴に至る劍を能くし眞影流を創む織田信長に仕へ後柳生莊に閑居し其莊名を姓とす其子光矩德川家光に仕へ劍道を授く九代を經俊順に至る代々和州柳生藩主たり 君は其後にして東京府士族故武田舜山の五男なり嘉永四年二月十六日を以て生れ文久二年八月先代俊順の養子となり翌年九月柳生一萬石の封を襲く明治二年二月同藩知事に任せられ同十七年子爵を授けらる 家族は前記の外庶子男五郞(明三〇、一二生、生母、東京、平、星野せつ)孫俊武(同三〇、二生、養子俊久二男)同重五(同三六、五生、同三男)あり 孫壽美子(同二七、八生、同長女)は子爵小笠原勁一に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、豐多摩、千駄ケ谷町千駄ケ谷八九七 | |
参照人物(親類) | 伯爵室町公藤、子爵小笠原勁一、※子爵土井利剛、※若尾粲四郞、※若尾幾造、※若尾民造 | |
参照次数 | 7 (※なし2) | |
読み | やぎゅう としお | |
別名 |