宮下左右輔 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 東京府平民 | |
職業 | 醫學博士、大阪府立高等醫學校教諭、宮下眼科醫院長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十五年八月一日 (1882) | |
親名・続柄 | 宮下俊吉の長男 | |
家族 | 母 さく 慶應元、四生、亡祖父海軍々醫中監愼堂長女 妻 アキ 明三〇、八生、東京、士、中上川次郞吉妹、學習院女學部出身 弟 千里 明一九、七生、從七位陸軍步兵中尉近衞步兵第二聯隊附 妹 若菜 明三二、二生、東京女學館在學 | |
記述部分(略伝) | 君は眼科の名醫として知られたる故宮下俊吉の長男にして明治十五年八月一日を以て生れ同三十四年一月家督を相續す同三十九年東京帝國大學醫科大學を卒業して醫學士の稱號を得直ちに同大學眼科助手となる同四十一年眼科學研究の爲め獨逸及瑞西國に遊學して斯學の蘊奥を究め同四十三年十二月歸朝す翌四十四年四月東京醫科大學講師を命ぜられ三井慈善病院眼科醫長となり傍ら父の業を襲ぎて京橋區に開業す新進の名醫として名聲嘖々たり同四十五年醫學博士の學位を受け大正二年八月大阪府立高等醫學校教諭に任せられ現に其職に在り 家族は前記の外弟俊男(明三一、一生)あり 妹八千代(同二二、一一生)は大阪府士族菊池侃二長男義郞に同百合子(同二四、八生)は山梨縣平民若尾民造四男鐵之助に嫁せり | |
住所・電話番号 | 大阪、南、天王寺眞法院町五四二八 電話長南一二八二 東京、京橋、因幡町七 電話京橋六五八 | |
参照人物(親類) | 若尾民造、菊池侃二、中上川次郞吉、※池田成彬、※日比谷新次郞 | |
参照次数 | 5 (※なし3) | |
読み | みやした そうすけ | |
別名 |