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戸田氏共 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳二等
爵位・身分・家柄伯爵、舊美濃大垣藩主
職業諸陵頭兼式部次長兼主獵官兼宮中顧問官
性別男性
生年月日安政元年六月廿九日 (1854)
親名・続柄 戸田氏正の五男
家族養母 大榮院 天保九年四月生子爵稻葉正善叔母
妻 極 安政四年十一月生公爵岩倉具定妹
女 よね 明治十二年九月生
女 幸子 明治十四年十二生
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足の裔正親町三條公治の長男實興より出づ後六代を經て一西に至る一西德川秀忠に從ひ功を樹て近江國三萬石に封ぜられ膳所に居城す其子氏鐵元和三年攝州尼ケ崎に移り五萬石を加へられ寬政十二年美濃大垣に移され十萬石を領すそれより九代從四位下氏彬を經て君に至る
君は先々代氏正の五男にして先代氏彬の弟なり安政元年六月廿九日を以て生る幼名を助三郞といふ慶應元年七月兄氏彬の養子となり同年十月封を襲ぎ同二年六月從五位下に叙し釆女正となる明治元年二月東海道鎭撫總督に從ひ軍功あり同二年六月大垣藩知事に任じ同四年二月米國に留學し同十二年十月文部省御用掛を命ぜれ同十三年八月正五位に叙し同十八年七月勳三等旭日中綬章を賜ひ同十九年三月公使館參事官に同二十年五月辯理公使に同年六月特命全權公使に任じ澳國維也納府在勤を命ぜられ同年七月從四位に同二十三年十月從三位に叙し同二十三年十二月澳國維也納在勤及瑞西公使を兼任し同二十五年兼主獵官に同三十年三月諸陵頭兼主獵官に任じ同三十年六月勳二等に同年七月正三位に叙せられ同三十一年七月兼式部官主獵官に同三十三年五月宮中顧問官に任ぜらる
女かう(明治十一年五月生)は侯爵細川護成に嫁し
同富子(同三十五年一月生)は家にあり
住所・電話番号東京市神田區駿河臺南甲賀町六 電話本局四二四
参照人物(親類)公爵岩倉具定、子爵稻葉正善、侯爵細川護成
参照次数4
読みとだ うじたか
別名助三郞