三宅秀 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 錦鷄間祗候、舊金澤藩士 | |
職業 | 醫學博士、貴族院議員、東京帝國大學名譽教授、帝國學十院會員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年十一月十七日 (1848) | |
親名・続柄 | 三宅艮齋の長男 | |
家族 | 妻 ふち 安政五、六生、男爵佐藤進養妹 男 鑛一 明九、三生、從六位、醫學博士、東京帝國大學醫科大學助教授、東京府立巢鴨病院副院長 婦 光江 明一八、一〇生、長男鑛一妻、東京、平、坪田五兵衛五女 | |
記述部分(略伝) | 君は舊金澤藩士三宅艮齋の長男にして嘉永元年十一月十七日を以て生る幼時高島秋帆平塚津藏の門に學ひ文久三年佛國に遊學し明治三年歸朝後大學に出仕し中助教となり翌四年大助教に任せられ爾後文部少教授東京醫學校長文部五等出仕となり同九年米國費府萬國醫學會に參列仰付られ同會副會長に推薦せられ歸朝後大學醫部長醫科大學教授兼醫科大學部長等に歷任せられ同十八年更に私費を以て歐洲に航し研修する所あり歸朝後同二十一年醫學博士の學位を受け同二十四年貴族院議員に勅選せられ錦鷄間祇候仰付らる曩に大學に貢献せし勳績により東京帝國大學名譽教授に列し尚ほ帝國學士院會員を命せらる又仁壽生命保險合資會社商議員たり 家族は前記の外孫榮(明三八、四生、長男鑛一長女)同仁(同四一、二生、同長男)同なつ(同四三、七生、同二女)同昭子(同四五、七生、同三女)同幸子(大二、一二生、同四女)あり 長女教(明八、一生)は醫學博士三浦謹之助に三女まつ(同一二、一一生)は靜岡縣平民仁田大八郞弟獸醫學博士仁田直に四女菊尾(同二二、九生)は東京府平民佐々木勇之助男謙一郞に五女八重(同二四、四生)は同府平民中村直次郞長男眞太郞に嫁し弟曆三郞(文久元、六生)は分家し二女梅(明一一、二生)は醫學博士佐々木東洋の養子となれり | |
住所・電話番号 | 東京、小石川、竹早町八一 電話番町二六六 | |
参照人物(親類) | 男爵佐藤進、三浦謹之助、佐々木東洋、中村直次郞、仁田大八郞、佐々木勇之助、※今泉嘉一郞、※佐藤佐 | |
参照次数 | 8 (※なし6) | |
読み | みやけ ひいず | |
別名 |