今泉嘉一郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 群馬縣平民 | |
職業 | 日本鋼管株式會社取締役、日本ヱナメル株式會社監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應三年六月二十七日 (1867) | |
親名・続柄 | 今泉常子の長男 | |
家族 | 妻 さち 明七、一生、男爵佐藤進養妹 男 嘉秋 明三〇、九生 女 芳子 明三二、二生 女 富子 明三三、二生 | |
記述部分(略伝) | 君は群馬縣平民今泉常子の長男にして慶應三年六月二十七日を以て生る明治二十五年七月東京大學工科大學を卒業し直ちに農商務省技師試補に任せらる同二十七年四月製鐡の學理及實地練習の爲英獨米墺瑞の五ケ國に留學し同二十九年十二月歸朝製鐡所の創設と共に同所技師に任せられ爾來同所經理課長築爐課長製鋼部長鋼材部長工務部長に歷補す同三十九年日露事件の功に依り勳三等に叙し旭日中綬章を賜はる在職十四年長官の代はる事五回技術上に經營に數多の苦酸を甞め其盡せし功勞不尠同四十三年二月製鐵事業の視察を了へ歐米より歸朝するや夙に製鐡民業の事を唱導し同四十三年四月職を退き方今日本鋼管株式會社取締役にして又日本ヱナメル株式會社監査役を兼ぬ 家族は前記の外三女テツ子(明三四、一二生)三男八郞(同三七、一〇生)四女常代(同三九、一二生)あり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、高輪南町四七 電話長芝三八九七 | |
参照人物(親類) | 男爵佐藤進、※三宅秀 | |
参照次数 | 3 (※なし1) | |
読み | いまいずみ かいちろう | |
別名 |