English

仁田大八郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正七位
爵位・身分・家柄靜岡縣平民
職業靜岡縣田方郡立田方農林學校長、株式會社三島銀行取締役、駿豆電氣鐵道株式會社相談役
性別男性
生年月日明治四年十月七日 (1871)
親名・続柄 仁田大八郞の長男
家族母 やゑ 文久二、七生、靜岡、平、久保田平吉長女
妻 しつ 明一〇、一二生、靜岡、士、牧野成一妹
男 孝 明三三、一生
女 とし 明三一、一生
弟 直 明七、三生、獸醫學博士
弟妻 まつ 明一二、一一生、弟直妻、東京府人三宅秀三女
弟 多喜郞 明二八、四生
妹 ゆき 明一二、一生
記述部分(略伝)君は靜岡縣平民亡仁田大八郞の長男にして明治四年十月七日を以て生れ同二十九年五月家督を相續す同二十八年東京帝國大學農科大學を卒業し現時靜岡縣田方郡立田方農林學校長の職に在り又前揭諸會社の重役たり
家族は尚三男辰男(明三七、五生)四男收(同四二、四生)二女ユウ(同三九、八生)三女喜代(同四四、二生)四女喜久(大二、三生)甥勇(明三二、一〇生、弟直長男)あり
二男次郞(同三四、一〇生)は靜岡縣平民川口秋平長男秋助に弟明八(同八、八生)は東京府士族高藤三郞長男高辰に各養子となり叔父謹三(慶應元、八生)及從弟一三(同一七、九生、亡叔父桂次郞長男)は各分家し妹りつ(同一七、三生)は靜岡縣平民川口秋平長男秋助に同たい(同二一、九生)は同縣平民大野恒哉五男隆に同ふみ(同二四、八生)は同縣平民廣田傳兵衛長男傳一に叔母はち(同八、一〇生)は同縣平民黑田重兵衛に嫁せり
住所・電話番号靜岡、田方、函南村
参照人物(親類)三宅秀、※三浦謹之助、※佐々木勇之助、※中村直次郞、※佐々木東洋
参照次数5 (※なし1)
読みにった だいはちろう
別名
画像を表示