曾我祐準 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、勳一等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 東京府華族 | |
職業 | 退役陸軍中將 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十四年十二月 (1844) | |
親名・続柄 | 曾我祐興の二男 | |
家族 | 妻 晟子 嘉永三、一一生、男爵華園眞淳伯母 男 祐邦 明三、七生、現戸主 | |
記述部分(略伝) | 當家は從五位曾我祐信の裔にして代々筑後柳川藩主に仕へ祐興に至る 君は祐興の二男にして天保十四年十二月を以て生れ後分家して一家を創立す明治元年軍務局檢判事に任じ同二年幕臣榎本武揚等函館五稜廓に據るや海軍參謀として出征し勳功あり同四年陸軍大佐に任じ同十六年陸軍中將に陞る其間陸軍兵學寮頭教導團長士官學校長征討第四旅團長熊本大阪各鎭臺司令長官參謀本部次長仙臺鎭臺司令長官等に歷補し後東宮大夫宮中顧問官等に任じ貴族院議員に選ばるゝ事四囘大正四年樞密顧問官に任ぜられ同十二年之を辭し現時閑地に在り曩に日本鐵道會社長岩倉鐵道學校長たりし事あり | |
住所・電話番号 | 東京市外大久保町西大久保一四八 電四谷五〇六 | |
参照人物(親類) | 子爵曾我祐邦、男爵華園眞淳、※男爵梶野行和 | |
参照次数 | 4 (※なし2) | |
読み | そが すけのり | |
別名 |