曾我祐邦 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、東京府華族 | |
職業 | 陸軍砲兵大尉、貴族院議員、日章火災海上再保險(株)取締役、臺灣銀行、日本電報通信社各(株)監査役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治三年七月 (1870) | |
親名・続柄 | 曾我祐準の長男 | |
家族 | 父 祐準 天保一四、一二生 妻 晃子 明九、一二生、公爵鷹司信輔養姉、男爵松園信淳養伯母 男 準和 明三八、一一生、從五位 | |
記述部分(略伝) | 君は先代子爵曾我祐準の長男にして明治三年七月を以て生れ大正十三年父祐準の隱居により襲爵仰付らる幼にして佛國に留學し巴里ポリテクニイク校を卒業し軍籍に入り陸軍砲兵大尉に進みしも北清事變に際し北京公使館附として在勤中病を得て野に下り實業界に投じ第一ペイント會社亞鉛鑛業會社等諸會社の重役に就任し現時前記諸會社の重役にして傍ら日佛協會副理事長日佛會館理事日本青年館監事等を兼ぬ巴里講和會議に日本電報通信社を代表して佛國に駐在し對獨講和會議の功に依り勳三等に敍せらる大正十四年以來貴族院議員に當選する事二囘現に其任に在り 家族は尚五男準定(明四四、三生)あり 長女清子(同三四、二生)は醫學博士金杉英五郞長男恒彌に二女盛子(同三七、五生)は兵庫縣人友田一郞弟在佛國マルセイユ領事二郞に三女友子(同四〇、二生)は新潟縣人樋口良助二男醫學博士助弘に妹滿子(同七、九生)は男爵立花小一郞亡弟銑三郞に養妹文(同二七、六生、福岡、曾我祐保長女)は子爵谷儀一に同龍江(同三〇、七生、東京、澁谷曉覺義妹)は男爵東三條實敏に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市外大久保町西大久保一四八 電四谷五〇六 | |
参照人物(親類) | 公爵鷹司信輔、子爵谷儀一、男爵立花小一郞、男爵東三條實敏、男爵松園信淳、曾我祐準、金杉英五郞、※伯爵香川櫻男、※男爵鷹司信熈 | |
参照次数 | 9 (※なし7) | |
読み | そが すけくに | |
別名 |