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華園眞淳 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從四位
爵位・身分・家柄男爵、僧家
職業眞宗興正派管長
性別男性
生年月日明治十七年八月 (1884)
親名・続柄 華園澤稱の二男
家族男 茂 大一一、六生
記述部分(略伝)當家は親鸞上人の後にして十三世を經て經豪に至り蓮如上人と力を協せて法道の爲に盡せり夫れより十二世の孫攝信戊辰の役末寺の僧を率ゐて王事に勤む功に依り明治五年華族に列し同九年眞宗中一派を立つることを許され興正派と稱す男澤稱に至り同十七年男爵を授けらる
君は澤稱の二男にして明治十七年八月を以て生れ大正元年家督を相續し襲爵仰付けらる明治四十五年京都帝國大學文科大學史學科を卒業し法統を襲ぎ眞宗興正派管長たり
家族は尚二男香(大一三、四生)庶子咲子(同五、七生、生母、平井國)同實子(同九、五生、生母同上)同久(同一四、一〇生、生母同上)同和子(昭二、三生、生母同上)の外兄演澄(明一六、三生)弟信由(同二〇、一一生)あり
同稱念(同二五、九生)同良嚴(同二七、三生)同稱淳(同三一、六生)同禰(同三四、三生)は各分家し叔父信曉(安政四、六生)も亦其妻文(同二、三生、福井、士、鈴木敏妹)と其子女を伴ひ分家し伯母晟子(嘉永三、一一生)は子爵曾我祐邦先代祐準に嫁し弟稱善(同二七、一生)は男爵梶野行和の養子となれり
住所・電話番号京都、下京、醒ケ井通七條上ル華園町一 電下四五四六
参照人物(親類)男爵梶野行和曾我祐準、※太田倉之助
参照次数3 (※なし2)
読みはなぞの しんじゅん
別名
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