立見豐丸 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、三重縣華族 | |
職業 | 陸軍砲兵少佐 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治十三年一月二十八日 (1880) | |
親名・続柄 | 立見尚文の二男 | |
家族 | 祖母 まさ 文政一二、九生 母 みの 弘化三、一一生、亡祖父作十郞長女 妻 波子 明二三、八生、子爵毛利元秀妹 男 尚秀 明四三、八生 兄 文雄 文久二、一一生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代尚文より名を揚ぐ尚文は舊桑名藩士にして夙に軍籍に入り累進して陸軍大將に進めり日清戰役の際步兵第十旅團長として出征し偉功を樹つ凱旋の後特旨を以て華族に列し男爵を授けらる 君は其二男にして明治十三年一月二十八日を以て生れ同四十年三月家督を嗣き襲爵仰付らる同三十三年六月陸軍砲兵少尉に任し大正二年一月砲兵少佐に進み現時近衞砲兵聯隊附たり 家族は尚二男尚俊(明四四、一二生)あり 姉ユフ(同七、九生)は陸軍少將高橋義章に妹もと(同一七、五生)は海軍次官鈴木貫太郞弟孝雄に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、牛込、喜久井町三四 | |
参照人物(親類) | 子爵毛利元秀、高橋義章、鈴木貫太郞、※子爵秋元興朝、※子爵宍戸功男 | |
参照次数 | 6 (※なし3) | |
読み | たつみ とよまる | |
別名 |