渡邊千春 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 伯爵、東京府華族 | |
職業 | 日本銀行理事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 明治五年九月二十八日 (1872) | |
親名・続柄 | 渡邊千秋の二男 | |
家族 | 父 千秋 天保一四、五生、長野、士、亡渡邊斧藏長男、從二位勳一等 母 とし 嘉永元、五生、長野、士、伊東謙一郞姉 妻 留子 明一五、七生、公爵大山巖三女 男 昭 明三四、一二生 弟 鹿兒麿 明一二、三生 弟妻 鋠子 明二五、一〇生、弟鹿兒麿妻、子爵大關增輝妹 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代千秋より顯はる千秋は舊信州高島藩士夙に勤王の大志あり明治維新に際し東奔西走王事に盡瘁し明治二年伊奈縣に出仕し爾後筑摩縣典事同權參事判事鹿兒島縣大書記官同縣令同縣知事行政裁判所評定官佐賀縣知事北海道廳長官内務次官錦雞間祗候京都府知事等の諸官に歷任し同二十八年内藏頭に任せられ尋て宮内次官に昇任し幾くもなく官内大臣に進み大正三年官を辭す先是同三十三年華族に列し男爵を授けられ同四十年九月子爵に進み同四十四年伯爵に陞る 君は其二男にして明治五年九月二十八日を以て生れ大正三年四月家督を相續し襲爵仰付らる明治二十八年帝國大學文科大學を卒業して文學士の稱號を得後ち日本銀行に入り擧けられて計算局長となり祕書役を兼ねしか同四十三年八月同行監事に擧けられ現時同行理事として行務に鞅掌しつ〻あり 家族は尚次男光(明三六、一一生)長女英子(同三八、一生)次女幸子(同四〇、一一生)三女愛子(同四三、四生)三男正(大元、一一生)甥護(同二、四生、弟鹿兒麿長男)あり 弟千冬(明九、五生)は叔父子爵渡邊國武の養子となり妹千夏(同一四、六生)は北海道平民鹽川三四郞に同鶴(同一七、一二生)は奈良縣人大藏書記官松本修に同千菊(同二〇、一一生)は男爵中川興長次男良長に叔母〓〓(嘉永六、七生)は長野縣士族高山直純先代直廉に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京、芝、高輪南町七 電話芝一三〇四、三三三〇 | |
参照人物(親類) | 公爵大山巖、子爵渡邊國武、子爵大關增輝、男爵中川興長、渡邊千冬、鹽川三四郞、高山直純、※男爵三浦英太郞、※男爵細川潤次郞、※男爵平野長祥、※男爵井田磐楠 | |
参照次数 | 12 (※なし8) | |
読み | わたなべ ちはる | |
別名 |